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はてなキーワード: 老中とは

2012-05-03

http://anond.hatelabo.jp/20120503165150

老中失脚後は、白河藩の藩政に専念する。白河藩は山間における領地のため、実収入が少なく藩財政が苦しかったが、定信は馬産を奨励するなどして藩財政を潤わせた。また、民政にも尽力し、白河藩では名君として慕われたという。定信の政策の主眼は農村人口の維持とその生産性の向上であり、間引きを禁じ、赤子の養育を奨励し、殖産に励んだ。ところが、寛政の改革の折に定信が提唱した江戸湾警備が文化7年(1810年)に実施に移されることになり、最初の駐屯は主唱者とされた定信の白河藩に命じられることとなった。これが白河藩の財政を圧迫した。

財政面では定信が持ち上げて自身が過去に出した政策で落とした

まあ、今の企業はいくら儲けたところで雇用お金を使わず株主経営者お金を落とすから橋本市長は定信のようにはなれないと思うけどね

2007-07-07

http://anond.hatelabo.jp/20070706091211

だれもつっこまないのがきもちわるいので書く!

>「私童貞とは付き合わないんだよねー」

この川柳を思い出した。

白河の 清きに魚の棲みかねて 元の濁りの田沼恋しき

泥の中に住む、きったないお魚さんは、泥の中の魚がお似合いさ。

得意げに川柳なんて引用しちゃってる増田は、どうもこの「白河の…」を「濁った泥の中に住んでいるような汚い魚が、無理して綺麗な水の河にすもうとするなんて無理なんだよざまーみろ」という意味、つまり「汚いヤリマンはヤリチンとくっつけばいい、清い童貞にちかづくんじゃねえ!ばーかばーか!」といったつもりでいるようなのですが……。

残念ながら、この「白川の 清きに魚の棲みかねて 元の濁りの田沼恋しき」という歌は、そういう意味どころかまったく逆の意味狂歌川柳ではない)でして、

白河藩主の老中松平定信による“寛政の改革”が、クリーン政治を目指すあまり、規制や締め付けが厳しすぎて、すっかり暮らしが不自由になった庶民が、「こんなことなら、少しくらい賄賂不正があっても、前の老中田沼意次のほうがよかったよ、トホホ」と皮肉った歌

なんですよ。

つまり、「綺麗ごとばかりいってんじゃねえ、ボケ!世の中少しくらい汚れてるもんなんだよばーかばーか!」が、本来の意味なので、増田はこの歌の意味を全く逆に理解しているというわけです。わーはずかしい!ぷぎゃー!!

中学だか高校だかで日本史教科書にでてくると思うんですけどね、田沼の政治→寛政の改革→江戸狂歌って。

それにしてもこういう歌でさらっと時の政権を皮肉ってみせる日本人の軽妙洒脱なところってのはカッコいいですね。

増田江戸時代の人にまけないように、上手に皮肉をかけるようになるといいね!がんばってね!!

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