2012-05-03

http://anond.hatelabo.jp/20120503165150

老中失脚後は、白河藩の藩政に専念する。白河藩は山間における領地のため、実収入が少なく藩財政が苦しかったが、定信は馬産を奨励するなどして藩財政を潤わせた。また、民政にも尽力し、白河藩では名君として慕われたという。定信の政策の主眼は農村人口の維持とその生産性の向上であり、間引きを禁じ、赤子の養育を奨励し、殖産に励んだ。ところが、寛政の改革の折に定信が提唱した江戸湾警備が文化7年(1810年)に実施に移されることになり、最初の駐屯は主唱者とされた定信の白河藩に命じられることとなった。これが白河藩の財政を圧迫した。

財政面では定信が持ち上げて自身が過去に出した政策で落とした

まあ、今の企業はいくら儲けたところで雇用お金を使わず株主経営者お金を落とすから橋本市長は定信のようにはなれないと思うけどね

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