はてなキーワード: 社会政策とは
以下、http://kkmyo.blog70.fc2.com/blog-entry-426.htmlのコメント欄より転載。
2009/01/26(月) 21:00:14 恩義(Oblige347)
よく、日本の現体制を否定し、日本人の卑屈な性格を批評し、日本社会の劣悪感を訴えれば、二言目には「北朝鮮へ帰れ!」という御仁が多いですね。 そこで、このブログではっきりと公言しておきます。 朝鮮民主主義人民共和国は中華人民共和国と同等のレベルにて日本よりは尊敬に値します! この意味が解らない人にはどうぞ言ってかまいません「だったら北朝鮮へ移民しろ」とでもなんとでも。 少なくとも、朝鮮人民共和国を北朝鮮というあだ名であざけ笑う人間に聞く耳持ちたくありません! 本来ならば、日本と同等に哀れな愚民化への道を踏んでしまった大韓民国と統一を実現し、朝鮮半島がひとつの人民共和国になるべきなのですから…。
朝鮮民主主義は地理的な状況で苦しんでいます。 革命により衆愚政治を打倒し、一時的に共産主義という名の開発独裁政策を盛り込みました。 そして、外交において有利に動く甲斐性が得られる核武装の断行を行いました。 これぞ、フランス第五共和国初代大統領シャルル・ド・ゴール将軍の思想を旨く心得ているかのごとく達者です。 また、地理的そして国際政治的に不利な立場を克服するために、人民統制を敷く為に凝固な独裁体制に依存しなければならない国なのです。
もし、朝鮮民主主義共和国と大韓民国とがともに統合を果たし、朝鮮民主主義共和国が釜山などの国際貿易上有利な港を手に入れれば、朝鮮半島にも繁栄がもたらされるでしょう。 しかし、政治体制はむろん朝鮮民主主義人民共和国の独裁体制をそのまま温存するべきですね。 今、経済情勢も社会情勢も揺らいでいる大韓民国の制度を朝鮮民主主義共和国において導入すれば、人民の間でのいち早いコンセンサスが定められず、南北朝鮮半島における経済格差を埋め、長年の暗い政治的対立の波長を弱めるだけの効果が得られないからです。 その真の南北統一において必要不可欠な政策は、更なる開発独裁の断行です!
そういえば、シンガポール共和国が明るい北朝鮮(朝鮮人民民主主義共和国)とあだ名されていることを思い出しましょう。 シンガポール共和国が、コモンウェルスという英国連邦の一員として残るが、主権をグレートブリテン(UK)から奪還し、リー・クアン・ユー上級相の思案を基に、開発独裁を行使して、独立後の混乱および多民族国家として人民静定、そしてある程度経済発展が起動にのるまでは計画経済を導入しつつも、国際自由市場におけるイニシアティブを序所に上げて、今現在は国民一人当たりの平均GDPを経済大国として胡坐をかいていた日本を追い抜かしたのです! そして、独裁国家といえども東南アジア諸国の中では経済成長だけでなく、多民族国家としての品格として社会不安定に陥れない価値観であれば許容し、そして売春合法化など人間の性格を世俗合理的に判断し、政治的に抑圧をしけども自由主義的な社会政策を導入するという異彩を誇る新興国優等生に躍り出たのです。
朝鮮民主儀人民共和国が地の利を得れば、シンガポール共和国とまでは行かないものの、日本を脅かす新興国に躍り出る可能性はあるでしょうね…。
そして、日本政府は朝鮮人民共和国を赤貧にあえぐ悪役国家としての印象を強く日本人に押し付け、あたかも日本が朝鮮人民民主主義共和国にて生を受けるよりましであるという錯覚をあたえるのです。 むろん、それは日本が高度経済成長期の真っ只中で、人民の精神がまだ旺盛かつ将来に対して希望を持てる時代であればいえたことでしょう。 しかし、バブル経済から日本は本当に衆愚化してしまった…。 社会の上に立つべき存在(責任制のあるべきエリート)が似非エリートとして上り詰めた愚民等により制御される社会になってしまったのです。 マクロ経済マネージメントを怠り国債所有率をGDPレベル100%以上にまで吊り上げ、将来人民への負担をかせました。 本来、あそこまで国内市場だけでなく、同盟国であるアメリカ合衆国にまで嫌がらせの如く市場拡大を行い、バブルの破裂した際の撤収費用(サンクコスト)を多く被るヘマをする土人である日本人…。 そして、現在にいたれば、経済大国を自任しながらも、その他アジア諸国に次々に追い抜かされ、外交上においてろくに自分の意見も貫き通せず、ただひたすら諸外国に貢ぐことばかりで、その負担を本来世の中を動かすべき人民へと押し付けているのです。 そればかりでなく、経済大国を自負しながらも、ここまで雇用体制が杜撰であり、将来へ希望を無くし既に餓死する可能性のあるレベルまで赤貧に追い込まれた個人が数多に続出しました。
おそらく、日本にて赤貧に成り果てた人口と明日への希望を見出せず真っ当に社会生活を送れない人口の合計は、朝鮮民主主義共和国の赤貧に面している農奴の人口と同じといって過言ではないでしょう。 むろん、下層階級に貶められた日本人の方がまだ物質面では恵まれた文化生活を送ることができるが、幸福度という面では朝鮮民主主義共和国の赤貧人口より2倍は下でありましょう。 そして、まだ朝鮮民主主義共和国の人民の明日への希望、そして自分自身を信じて今日と明日を生きる気力は日本愚民および下層階級よりも数段上です!
そして、政治面でも、あれだけ窮地に立ち、日本と違い不幸にもミクロ経済マネージメントにおける利点を得られなかったにも関わらず、国際外交においては屑日本を譲歩させるだけの力量を秘めております! つまり、日本の政治家や官僚よりも朝鮮人民民主主義共和国の方が格段に力量が上であるのです!
また、日本政府は未だ拉致問題という本当に朝鮮民主主義共和国の主導により行われたか疑わしい疑惑を明示しながら、御国を犯罪国家と罵る醜態であります。 これは、日本人拉致疑惑を完全に否定しているのではなく、日本政府がその拉致疑惑の正当性を主張しながら、実際になにもできない醜態であるからやけに疑わしいのです。 本来、拉致疑惑の有無を議論するよりも、もし拉致被害者が出れば特殊部隊を送るなり、外交上の圧力を積極的にかけるはずです。 そういうことをしない現日本政府の対応を見ているとまるで、日本人拉致被害が無かったかのようにみえてなりません! どうでしょうね? すくなくとも、○○協○のような現日本政府体制の腰ぎんちゃくであるカルト組織が熱烈に拉致被害を誇示している背景からしても、ますます怪しく見えますね…。
処女にこだわる奴を気持ち悪がるのはいい。
そうすると次のステップは「この地球上に処女にこだわる奴が一人もいない世界」の構築なわけだ。
どうすればいいのか?
発生原因が自信なら、全員に同程度の自信を与えることは不可能だ。全てのことは相対的だから、自信のある人、普通の人、自信のない人、必ず発生する。
これを発生させないような何か、やりようはあるのか?
しかも生理的なことだとするとかなり若いうちに仕込まないと大人になってからでは変更不可能なことが多い。
だとすれば、いつくらいの時期に、どうすればいいのか? それは社会政策としてやれるのか?
一つできるとすれば、中学くらいでフォークダンス式に順番に全員とセックスさせることだ。こうすれば性的な劣等感は発生しないだろう。
これが全員に自信を与えるやり方。
もう一つは、全員に自信を与えないやり方。男女を分けて育てる。こうすれば条件がイーブンになる。
この二つを極端だとして、その間の穏健なやり方は何かあるのか? それは効果を発揮できるのか?
ヒューマニズムを教え込み、相手も人間だから性的にばかり見てはいけないよ、と教え込むのか?
それが感覚を変更させるか? させないか?
そこで私の方法論思考は行き詰まるのである。
2008年秋
最後とおっしゃっているのにレスをつけるのもなんなんだけど、橋下さんについては多分こうなんじゃないかなって思うことを補足として。
当人がはっきりと明言されておられないのを言うのも何ですが、環境的に彼は逆境と言っていい境遇から、難関私大に合格して、難関の司法試験を突破して、いまや知事であるわけね。
個人的には偉かったねと言ってあげたいけど、得てしてそう人にありがちな思考の癖が、やはり彼にも見られる。
「頑張れば出来る、俺を見ろ、俺だって頑張ってここまで来たんだ!」
っていう考え。
もちろん、頑張ることは大事だし、頑張る人たちによって社会が支えられている面もある。学校の先生が頑張っているように。
ただ、社会政策を立てたり、考えたりするうえでは、むちゃくちゃ頑張ることを前提として立案するのは無茶というもので、個人としてはむしろ美徳といってもいい信条が、公共の問題にすりかえられるとき、過労死を招いたり、教育のリソースの枯渇を招いたり、それが少子化を招いたりするわけね。
私が思うに、効率と福祉ってのはどちらも大事なんだけど、適当なところでバランスをとるしかないでしょうって、いい加減な言い方かもしれないけどそう思う。
現実の問題として、大阪の教育水準が少なくとも先日の文科省の一斉調査の結果、あんまり芳しくなかったってことがある。
それも単に一点二点の差じゃなくて、明らかに中心集団から外れた、ちょっと特殊な位置にある。
これは大阪の子の将来のためにも、やっぱり改善が求められる状況で、なんでまたこんなことになっているの?と原因を考えた時、制度的に大阪の学校教育環境が他の都道府県とそう変わらないのだとしたら、やっぱり特殊な原因があるだろうことは推測できる。どう考えても秋田県の教育環境が予算や施設において大阪より恵まれているなんて思えないもの。
問題はそれがいったいなんなのかってことね。
おそらく彼は、その原因を大阪の教育委員会の政治的な体質に求めている。
個性を伸ばす教育やら、社会教育やら、なにやらを「余計なもの」と見ている。なんだっけ、マンガ図書館とかもね。
もっと百マス計算をやらせろって思っている。
これも憶測に過ぎないけどね、まあ憶測と断った上で、本当に問題にされているのは「政治」であるわけよ、「教育」じゃなくて。
と言うか、教育の問題を切り離すために、政治をまずやっているのでしょう。
もっとあからさまに言えば、左翼やら女権団体やら部落解放同盟やら朝鮮総連やら、それらとの「抗争」の一環であるわけですよ。
そして、権力者の立場にあるのは彼であって、彼に反対する人たちではない。
橋下さんははてダや増田でずいぶん、批判されているけど、それでも世論の支持は高い。これは大阪の「弱者利権構造」があると世論が見ていて、それに大阪教育界が毒されていて、橋下さんがそれと戦っていると見ているからですよ。
だから増田さんも感情をぶちまけては、ある意味、思う壺になっちゃうかもね。またブサヨがどうのこうのって言われてしまうから。はてなではそういう人は少ないけど、橋下さんの支持率の高さから見る限り、むしろそうした人たちのほうが多数派、日本は幸か不幸か民主主義国なんで、ガチでぶつかったら多数派が勝つようになっている。
代案を出せって言ったら、いや橋下を批判しているだけなのに、それおかしいでしょ、とか言わないでね。
なぜ大阪の状況が悪いのか、分析した上で、説得力のある(この言い方もあやふやだけど)代案を示さない限り、多数派にはたぶん通じない。
増田さんが橋下的なるものに批判的であるなら、主導権を握らないと駄目よ。東京ではそれが出来なかったから石原さんが3期も都庁に居座ってしまった。橋下さんは若いから3期どころじゃ済まないかもよ。
…いや、そんなやつとやるやつも馬鹿なのか?
一理ある。
ただし、こういう意見は(この問題にかぎらず犯罪、トラブル一般について)よく見かけるが、(1)「そんなやつ」の割合が相当高くて、(2)「そんなやつ」かどうか見分けることがそれなりに難しい場合、個人の判断に負荷がかかりすぎるので自己責任に帰するのは得策ではない。
だいたいにおいて、上記のような意見を言う人間は、(1)(2)を甘く見つもりすぎている(実態を知らない)。
しかし、社会政策や文化・習慣の変化というのはそうそう急には起こらないので、仕方なく「自分が賢くなる」という自衛手段がとられる。ただしこれはあくまで「自衛手段」であって、他人を非難するための理由であってはならない。
でも、だからといってニートが悪いことにはならない。
責任があることと悪いってことは別の次元の話で,何もニートが悪いんだとは考えてない.
ただニートの問題を具体的にどうにかこうにかしていこうとするならば,
当然社会的あるいは法的な側面での問題の整理が必要になってくるわけで,
そうすると必然的に「責任」という概念を持って来ざるを得ないってことを言いたい.
だから「環境のせいだ」というように責任の所在を曖昧にするのはいかがなものかってこと.
ニート自身にしても,自身の責任を問われなければ,問われる場合よりも働く誘因が小さくなってしまうわけだから,
社会政策としては当然本人の責任を問う方が賢明なやり方だと思うんだよね.
前者は明らかに環境に依存しているし、後者は由来が不明なものでしかない。つまり、意志そのものは自分を自由にある方向に決定づけることは出来ない。
「なぜその選択肢を選んだのか」についての理由付けについては,受動意識仮説とかあって,確かに後付け理論でしかないというのは
科学的にだんだん分かってきていることだよ.ただし我々が言葉で考えているその背後には意志を計算しているホムンクルスがいて,
自由意志はそのレベルで確かに存在するのだと思う.そういう仮説をクリストフ・コッホっていう脳科学者が提案している.
まだ仮説段階だけれど.まあこの辺りのことをたかが増田で議論してもしかたがない.