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はてなキーワード: 大乗仏教とは

2008-09-29

http://anond.hatelabo.jp/20080929015934

仏教の伝来には大きく2つのルートと二つの宗派があってだな…。

インド(原始仏教)―ダルマさん―中国朝鮮日本 (北伝ルート大乗仏教

インド(原始仏教)―ビルマタイラオスカンボジア (南伝ルート上座部仏教

というふうになるんよ。

んで、中国経由のほうの根本経典は、基本的に般若心経とか法華経とか、浄土宗だと無量寿教とか阿弥陀経とかの大乗経典

仏教経典っていうのは、基本的にすべてお釈迦さんが語ったものを後の世に経典に表したという形になってるんだけど、大乗経典っていうのはお釈迦さん以外の如来ブッダ)が登場したり、観世音菩薩だの弥勒菩薩といった菩薩が登場したり、不動明王が登場したり、とにかくいろんなキャラが出てくる。

ちなみに大乗仏教ってのは、自分一人で悟って涅槃行ってもつまらんから民衆も救済してやるまいよ、という立場の仏教ね。

(これに対して自分一人が修行者として悟ることが第一と考えてるのが上座部-南伝仏教な)

もうこれだけでもわけわからんと思うんだけど、こんなわけわからんのは本当の仏教じゃない、っていうことでわけわからんことをやり出したのが禅宗で(公案とか只管打坐とかね)、それが日本に伝わってきて、明治になって鈴木大拙という人がアメリカで大々的に禅を普及したので、禅=日本というのも間違っちゃいないんだよ。

2008-09-16

anond:20080916130527

存在認識の解明って、自然科学ではなんて言ってんのかな?

自然科学っていうのは便利な道具の開発くらいにしか思ってなかったよ。

イデオロギー正当化哲学は利用されているとあったけど、イデオロギー哲学は不可分だと思っていた。

大乗仏教の唯識論をユング心理学正当化するようなもん。

2008-09-10

anond:20080909174341

「Q-1-c.ttp://anond.hatelabo.jp/20080909172832と答えられた方にのみ質問です。「本当の目的」とは何ですか。」

それはそのフィクションの作者のみぞ知る。(目的は作者により千差万別である。)

例えば、

大乗仏教経典法華経方便品)であれば、フィクションは方便という言葉で呼ばれて、一仏乗の道に入る為の巧みな手段とされています。

フィクションを広義に虚構と捉えるならば、人はフィクションを手段とすることによって生活し生きていると言っても過言ではない。

なぜなら、漫画だけではなくて芸術も文化も言語お金も元々は虚構であってフィクションだからです。

しかし、それを嘘であると咎める人が誰もいないのは、そのフィクション目的により社会の公益に役立っているからです。

逆に、フィクション(手段)そのものを目的化にしてしまったときには、単なる嘘となって悲劇を生むのです。

だから、手段と目的を逆さまにして間違えてはいけないといえます。

2008-04-11

長野での聖火リレー時、みんなで般若心経を唱和する

 …というのはどうだろう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AC%E8%8B%A5%E5%BF%83%E7%B5%8C

大乗仏教根本教典だから、チベット中国日本の文化的つながりを確認できる。

・これまでのロンドンパリサンフランシスコと同様の抗議活動よりインパクトがある。

善光寺門前でやる分には、さほど違和感はない(だろう)。

経典の内容は戦争反対ではないが、「とりあえず、おまいらおちつけ」というメッセージにはなる。

 「スピーカーからテープ流し」より唱和の方がインパクトがあるとおもう。

2007-09-19

http://anond.hatelabo.jp/20070919220014

手塚治虫の「ブッダ」からではどうか?

中学から仏教系の学校に通っていて、普通に「仏教」っていう授業があった。試験もあった。

ブッダが生まれるところから習い始めて、大乗仏教とか愛別離苦とかが試験に出た。

2007-06-23

慈悲という暴力

anond:20070623111031

「救済」のため、であれば大乗仏教では嘘も許される。暴力も許される。

彼らから見て「火宅の人」であれば、騙しても脅しても拉致しても良い。

お経には「仏敵」たる人間に対する、これでもかという程の憎悪が書かれている。

オウムに到っては「悪いカルマを積んでいる」人は殺してあげるべきとされた。

どうしてそういうことになるのか。それは「個人」というものを認めないからだ。

救われたい者だけにその方法を提示する、という小乗のコンセプトは大乗に比べて非常に健全である。

http://anond.hatelabo.jp/20070623000027

仏教の話。仏教の原典を読むと、弟子と民衆に語った教えや方便として説いた例え話とか、説話や物語といった内容なのです。お釈迦様は民衆の機根(理解度)に沿って方便を説き悟りに導こうとした。それは一貫してるのはお釈迦様の「不幸にあえぐ民衆への励ましの言葉」と私は感じましたよ。

自分の世界にこもって悟りを得ようとするのは小乗仏教、より多くの人を救っていこうとするのは大乗仏教にあたります。世間一般の仏教イメージとして定着してるのは小乗仏教の方なのだけど。お釈迦様の真意に近いのは大乗仏教の方だよ。

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