はてなキーワード: 大乗仏教とは
仏教の伝来には大きく2つのルートと二つの宗派があってだな…。
インド(原始仏教)―ダルマさん―中国―朝鮮―日本 (北伝ルート:大乗仏教)
インド(原始仏教)―ビルマ―タイ・ラオス・カンボジア (南伝ルート:上座部仏教)
というふうになるんよ。
んで、中国経由のほうの根本経典は、基本的に般若心経とか法華経とか、浄土宗だと無量寿教とか阿弥陀経とかの大乗経典。
仏教の経典っていうのは、基本的にすべてお釈迦さんが語ったものを後の世に経典に表したという形になってるんだけど、大乗経典っていうのはお釈迦さん以外の如来(ブッダ)が登場したり、観世音菩薩だの弥勒菩薩といった菩薩が登場したり、不動明王が登場したり、とにかくいろんなキャラが出てくる。
ちなみに大乗仏教ってのは、自分一人で悟って涅槃行ってもつまらんから民衆も救済してやるまいよ、という立場の仏教ね。
(これに対して自分一人が修行者として悟ることが第一と考えてるのが上座部-南伝仏教な)
もうこれだけでもわけわからんと思うんだけど、こんなわけわからんのは本当の仏教じゃない、っていうことでわけわからんことをやり出したのが禅宗で(公案とか只管打坐とかね)、それが日本に伝わってきて、明治になって鈴木大拙という人がアメリカで大々的に禅を普及したので、禅=日本というのも間違っちゃいないんだよ。
「Q-1-c.ttp://anond.hatelabo.jp/20080909172832と答えられた方にのみ質問です。「本当の目的」とは何ですか。」
それはそのフィクションの作者のみぞ知る。(目的は作者により千差万別である。)
例えば、
大乗仏教の経典(法華経方便品)であれば、フィクションは方便という言葉で呼ばれて、一仏乗の道に入る為の巧みな手段とされています。
フィクションを広義に虚構と捉えるならば、人はフィクションを手段とすることによって生活し生きていると言っても過言ではない。
なぜなら、漫画だけではなくて芸術も文化も言語もお金も元々は虚構であってフィクションだからです。
しかし、それを嘘であると咎める人が誰もいないのは、そのフィクションの目的により社会の公益に役立っているからです。
逆に、フィクション(手段)そのものを目的化にしてしまったときには、単なる嘘となって悲劇を生むのです。
だから、手段と目的を逆さまにして間違えてはいけないといえます。