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はてなキーワード: 哲学者とは

2007-09-08

日本の代表的な哲学者

どういう方がいますか?

2007-08-08

利他行動をアガペと説くかエロスと説くか

http://anond.hatelabo.jp/20070808143254

利他行動エロスと説く人もいるけど、私はどちらかというとアガペと説きたい人。

もちろん、all-or-nothingでどちらかでないといけない、というわけじゃないと思うけれど。

たとえばアガペを土台にしたエロスは夫婦の絆を非常に深めると思う。

宗教家、特にキリスト教はアガペ派が多くて、

哲学者心理学者、特にフロイト信奉者はエロス派が多いように感じる。

善い自分と悪い自分の戦った結果だよ(善悪二元論)

http://anond.hatelabo.jp/20070808133311

「心の中の“善い自分”と“悪い自分”が戦っている」というのも、ここでいう「動機」のうちに入るかな? 一元論じゃなくて二元論だけど。

・善い自分が勝てば、勤勉とか誠実とか謙遜とか慈愛とか自制といった結果につながる。

・悪い自分が勝てば、怠惰とか不誠実とか傲慢とか憎しみとか貪欲といった結果につながる。

人間行動は、この“善い自分”と“悪い自分”が戦った結果として表れるもの。

といった感じのもの。

この説の信奉者は、哲学者心理学者よりも宗教家に多いかも。特にキリスト教。元ユダヤ教ファリサイ派だったパウロ言葉とか。

人間が善悪二面を持つのは、「人間は神の像に造られたので本質的に善だが、後にアダムとイヴが禁断の木の実を食べた時に悪の心が入った」とか、そんな感じだったっけ。

#これもやや単純化しているきらいはあるけど……

あと、「性欲だよ」と「死への恐怖だよ」はコインの裏表、という説もあるかも。生への欲求と、死の嫌悪。

2007-08-07

anond:20070807215334

だが、考えてみて欲しい。

その「おまえ」を作ったのが誰なのかを。

ある哲学者は言った。「自己自身によって自己を定められる存在は神である」と。それこそが全能ということであると。

あなたは、自分で自分を定められるか?

2007-07-29

[]オシム

諸君 私はオシムが好きだ

諸君 私はオシムが大好きだ

回りくどい言葉が好きだ

説教臭い言葉が好きだ

大きな体が好きだ

中村俊輔にガオーってしてる姿が好きだ

ロッカールームで顔を手で押さえてる姿が好きだ

中村ケンゴをどなっている姿が好きだ

会見で ピッチ

ロッカールーム

この地上で見ることができるありとあらゆるオシムの行動が大好きだ

スター重視のメディアを軽くあしらう様などはもうたまらない

下らない質問を投げかける記者オシムの難解な回答に悩まされるのも最高だ

諸君 私はオシム哲学者の様なオシムを望んでいる

諸君 オシムに付き従う信者諸君

君達は一体何を望んでいる?

オシム! オシム! オシム!』

よろしい ならばオシム続投だ

2007-06-27

http://anond.hatelabo.jp/20070627151711

暑がりが知能が低いかどうかは知らんけど、

世界的に見ると比較的寒い地方のほうが哲学者の産出が多い、ということはあるらしい。

しかし寒い地方ではそれに伴って自殺者も多い。

2007-06-21

http://anond.hatelabo.jp/20070621024329

はじめに言っておくと、宗教を擁護する立場じゃないよ。個人的にはあらゆる宗教に対して全く逆の立場だよ。神やら仏やらがいるって立場からの説教まじうざい。たいてい、信じてない言うとキレるし。

本題。極端な話、頭ではたとえ嘘(というか、「私が神である」って言うのと同じくらいにありえないナンセンス)とわかっていても宗教をやっていることに価値はあると思うよ。宗教そのものから何の利益が得られなくても、むしろ損害を与えられるとしても、それでも価値はあるかもしれないと思う。

例えば、やめようとする信者に対して、うんざりするような超長時間にわたって説得をしたあげくいざやめたら嫌がらせするとか、そういうカルトがあったとする。すると、このカルトから抜けることによって人災を蒙るわけだ。なら、やる気のない一信者でいた方が得かもしれない。

例えば、ある宗教の信者の中には、やめた信者に対して、宗教に対する敵対と思いこんで凶行に及ぶ狂信者がいるかもしれない。極めて無神論に近い思想で知られる哲学者スピノザは、ユダヤ教を破門された際に襲われていたりするし、現代でも、悪魔の詩の作者ルシュディとその関係者はイスラム教徒によって抹殺されたり、されかけた。

上記ほど凄惨なことにはならなくとも、なお人間関係などにさまざまな影響が及んでしまうのは避けられないだろうし。もちろん、抜ける場合だけではなくて、新たに入る場合にも人間関係に大きな影響があるだろうけれども。人間関係のためにやめられないって人間は多いと思うよ。入信したが最後、人間関係以外の点で面倒なことになってしまうこともあるし。多くの人はあえて面倒なごたごたをしてまで檀家やめようとは思わないでしょう?

もちろん、宗教が無ければこんな面倒は無かったって意見もあるのだろうけれど、既に存在しちゃってるのだからしょうがないじゃない。大型家電の廃棄に金掛かりますというなら、持っててもいいやってなる人がいるのも頷ける話でしょう?

余談だけれど、宗教は消えて欲しくても宗教建築物なんかは残して欲しい。個人的なところとしては、神社好きだし。

2007-06-14

メモ - 「私の憎悪する意見は禁止されるべきである」

誰かが、頑迷な、あるいは気に障る、あるいは被害を与える、あるいは抑圧的な、あるいは邪悪意見は、禁止されるべきであると言うとき、実際に彼が言っていることは、「私の憎悪する意見は禁止されるべきである」というに尽きる。別の言葉で言えば、彼は、プラトン哲学者(すなわち彼)が社会幸福のために支配するべきであると主張したときにやったことと同じ事をやっているに過ぎないのである。彼は力ずくでひったくろうとしている。彼は、法王、アヤトラ、哲人王になりたがっているのである。

神は細部に宿り給う ネットイナゴネットイナゴ

2007-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20070529212604

松本人志が「抜く前と抜いた後の自分、どっちが本当の自分か」て問いを出してたけど

哲学者はこれに答えるべきだと思う。

どうしてあんなに落差があるんだろうか。女はどうなんだろう。

仕事は続けること

http://anond.hatelabo.jp/20070527184840

とりあえず、仕事を辞めないこと。辞めるのはまだ早い。

仕事が楽」なのだから、いくらでも生活は変えられる。

資格を取ろうかと考えているのなら、仕事をしながらでも勉強できる。

創作活動がしたいというのなら、仕事をしながらでも創作できる。

哲学科は、まぁやめとけ。哲学なんて仕事をしながらでもできる。いや、生きてればできる。

教授になろうとかそういう意図がない限り、哲学科に入っても特に意味はない。

哲学科っていうのは、「そういう性格の人間」が入学してしまうというだけの話で、

30になってから入学するなんてのは無意味哲学なんて生きてればできるんだから。

そっち系の本を読むなり(読む場合は原典、つまり哲学者自身が書いたものを読むこと、

できるなら原語で、できないだろうけど)、年寄りの話を聞くなり、

もしくはどっかの社長とか教授とかすげー人とどうにかして話をさせてもらうといい。

つまり、今できることがあるでしょ。仕事が楽なんでしょ。

辞めてからどうのなんて駄目だよ。今やりなよ。

それで「これでいこう」ってのが見つかったら辞めなよ。

そういうことが今できないようだったら、仕事辞めてもなんもできないと思う。

ただ逃げたいだけなんだと思う。

追記:大事なことを書き忘れた。

まずは親と話すといいよ。辞表出す前に。

上でごちゃごちゃ書いたけど、なによりこれを優先した方がいい。

また、ネットじゃなくてリアルで色々な人と話すといいよ。

2007-04-23

http://anond.hatelabo.jp/20070423212533

初めて読んだが、むかついてしまった。

他人の自己顕示欲に怒りを覚えてその怒りを顕示するという行為をした時点で

哲学者などではないだろうこの人。

哲学者で他者に寛容じゃない人間なんているのか?

ま、自称哲学者はたくさんいるからな。。。。

2007-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20070422161145

君が頑張って無駄を省いてほしい。

でも、アカデミズム研究ってのは本質的に無駄を伴うんだよ。

確実に有用な成果が出るなら企業がやればいい。

でもそれじゃ誰もやらない分野が出る。

それが結局は実用科学の首を絞める。

たとえば形式論理なんて長らく無駄飯食いの哲学者の戯言だった

でもそこからプログラム言語概念が生まれた。

そういう厚みがなければ科学技術は行き詰まる。

2007-04-11

ゲーム的リアリズムの誕生』について

取り上げている題材、着眼点が面白い本なのは確かなのだけれど、第二部においてメタフィクション論を展開するにあたって、既存の批評理論ほとんど参照していないのが気になってしょうがない。『ファウスト』に掲載された上遠野浩平論で佐藤俊樹ドイツロマン主義文学を東の議論に接続していたはずだし、東のひとつのホームグラウンドであるSFにおいても、平行世界論や可能世界論については繊細な議論が行われてきたのではなかったのか。新しい概念を創造するのが哲学者仕事なのだ、と東はどこかで発言していたように思うが、既存の理論との格闘がないままにいきなり概念が提出されるのは、どうにも知的緊張感を欠いているように感じられてしまう(その意味で、第一部の大塚新城稲葉らの緒論との接合までは面白いのだけれど)。また東の昔の発言を参照するが、東は「アカデミズムジャーナリズム」という対比を日本の論壇を分析する際に言説に持ち込んでいて、その中間で仕事をすることが大切だ、と以前どこかで述べていた。その対比をそのまま用いるとするなら、ちょっと今の東は「ジャーナリズム」に近寄りすぎてはいないか。在野の一ファンとしてはちょっと残念だ。とはいえ、我ながら無責任な期待だと思うので、こうして匿名ダイアリーに書いておく。お目汚し失礼。

2007-02-09

久野収

http://anond.hatelabo.jp/20070209115622

久野収はたぶん「日本最強のリベラル」の一人で、

それ故の「対話の名手」

久野収の対話・座談相手は「右翼」も「左翼」も関係なかった。

すさまじい経験とすさまじい知識を駆使しながら

関西弁の親しみやすさで、彼は相手の懐にはいっていく。

「君たち左翼は、みんなが自分たちと同じになるのがエエ、

自分たちの言うことを聞かない奴は敵やと思うとるのとちゃいますか。

そういうのはアキマヘンでえ」(『週刊読書人1999年2月26日号)

天皇は、疑う余地もなく、戦争の最高責任者だった」

戦争の不条理を知り、自己の生と思想を賭けて抵抗した人間と、無自覚に戦争に参与した人間との間には越え難い距離がある」

マスコミが受け手の予断に迎合して"事実"を伝えようとするとき、情報化社会は相互に盲目化する」

「将来の展望がなかなか開けないのは、いまでも個人ではなく集団の力で何ごともなし得ると思い込んでいるからですよ。

意識的な個人が集まって作る集団が個々の力を十分に結集して初めて事はなる。」

「私は難しい言葉をやたらと使うのがクオリティではないと思う。難解な事実や現象を平易な言葉を使って書く。

それがクオリティではないか。やさしい、普通言葉遣いで深い、質の高い問題提起を粘り強く続けていく」

「もう徴兵される心配のない年寄り政治家財界人評論家やその他口舌の徒が『徴兵』を口にしてはならない。そうでしょう。違いますか。だが、同時に反安保についても異論がある。我々はもう二十年も前から同じことをさんざん言い続けてきた。まだ反安保を言うのか、と思う。私は『超安保』を主張したい。安保を超える思想を一心不乱に探すときではないのか。そう思うとるんや。どう思いますか」

(「人間 久野収―市民哲学者、きたるべき時代への『遺言』」のアマゾンレビューより)


ちと引用くどくなっちゃった

はてな引用記法・・・生リンクを埋め込んでタイトル自動取得ってここはできんのね)

はるか若かりし頃、私も生の久野収のお話しを聞くことができた。

当時フリーター死語?)だった私らのようなコワッパに

久野さんは「あなた方のような方々が未来をつくっていけると思う」と肩を押してくれた。

あの寛大さと柔らかさには学ばなければいけないよなぁ・・・。

2006-12-10

とあるはてな貴族の密談

http://anond.hatelabo.jp/20061207210127

娼婦A「雨上がりの晴天は心地良いですわね。空中の埃という埃が洗い流されて。」

娼婦B「そうですね。冬の散歩って、なかなかに気持ちいいですわ。」

紳士C「精神的安定をもたらす太陽の光…、最近になってネットリアルの障壁が無存在になったというか、ネットリアルという双方の世界を仮に認めるとしても、その差異が狭まったというか…」

娼婦B「確実に梅田さんの業績はそのネット社会の肯定ではあったわけですけれども、ネットリアルも主体は人間という知性であるわけでして、何が本質的に違うのか、もう少し吟味してみる必要がありますわ。」

娼婦A「そろそろ情報思想家といいますか、情報哲学者といいますか、情報に対して真摯な眼差しを向ける人材が、必要になるのかしら?」

紳士C「確かあのパーカッショニストは、『そういった哲学的語りが実社会生きるのに足るような経済活動に結びつくような、そんな着地点があるのなら、私はそれを目指したい。』と、即興後に語ってたな。彼は、『情報』に対して、かなりの審美眼を持っているように見える。彼の名前、思い出したか?」

娼婦B「えっと、その、教養人、という意味アイデンティティでしたわ。」

娼婦A「今時、教養なんて、ますます面白い方ですわね。またお呼びして、即興をお聞かせ願いたいわね。」

土曜日本番な、噂のパーカッショニスト。だが副業の休暇が取れず、てんやわんや、とも伝えられる。

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