はてなキーワード: 稲中とは
今や日本で生まれる子供の30人に1人がハーフという時代らしく、
その内「ハーフ」という言葉すらなくなるんじゃないかというくらい、ハーフというものが一般的になる時代が来るのかもしれないが、
良くも悪くも未だに世間的には偏見というか、思い込みみたいなものが多かったり、
悪気はないつもりでも、ハーフから見て凄く嫌な言葉なんかも結構あるので、ちょっと増田でハーフについて書いてみる。
とりあえず世間で、ハーフに関することで半ば常識みたいになっている事柄って、
とかそういう感じだと思う。
たまに「そんなの当然でしょ」とのたまうハーフ脳(笑)とでもいう方を見かるが、どちらも間違いと言って良い。
最近はウェンツのお陰で、ハーフ≠バイリンガルは一般的にも浸透してきているが、ハーフ=美男美女説は曲者。
ハーフに美男美女が多いというのは、恐らくTV画面を通して見るハーフが、ベッキーやウェンツ、滝クリ、加藤ローサ、柚木ティナとかで、
逆に光浦とか岩尾みたいなのはTVに出てきたことがないから、なんとなくそう思ってしまうのも分かる。
うん、確かに滝クリや加藤ローサは美人。控えめに言っても嫁に欲しいくらいだ。
(因みに滝クリは知り合いの知り合いだったりする。会ったことは無いが)
雑誌でモデルをやっているハーフも、大体が美男美女でスタイルも良い。
他にも今までの人生で言われてきたのが「ハーフって日本と外国の血の良いとこどりでしょ」という台詞。
さらりと笑顔で返しつつも、交配で良いとこどりが確実に起こるんなら、
今頃競馬場ではサラブレッドが時速300kmで走ってるだろうよ、と心の中で何度ツッコんだか分からない。
おれは日欧ハーフなのだが、幸いにして顔のバランスは悪くなかった。
というのも、両親がとんでもないイケメンと美女だったからだ。
おれがハーフかどうかというのは全く関係のないパラメータである。
逆に言うと両親と比べると、悲しいことにおれはそこまで目立って美男ではない。
良いとこどりは、贔屓目に言っても成功したとは言えないだろう。
結局、ハーフであろうがなかろうが、美男美女が生まれるかどうかというのは、
80%が両親のスペック次第だというのは否めない。というか、それが現実だ。
そして現実は厳しいのである。
そのコミュニティ主催のオフ会(という名の飲み会)に参加すると、別に美男美女が多いという印象はない。
勿論可愛い子やイケメンはいるが、不細工な人もいる。そして当然圧倒的に多いのは、平均点付近。
これは渋谷を歩いていて美男美女、不細工な人間、普通の顔立ち、それぞれの人を見かける確率、比率とそう変わらない。
信じられないくらい太っているやつもいれば、骨みたいなやつも、イヤなやつも、酒乱も、オタクっぽいやつもいる。
山本モナはハーフ失敗作なんて話も聞いたことあるが、(違う意味でなら確かに失敗作かも知れないが)
そういった会に参加してみると山本モナでも平均点よりは大分上だということに気付く。
純日本人の女の子と比べて、山本モナが平均点より上なのと一緒である。
ハーフを2、300人くらい集めたところで、加藤ローサみたいな子はなかなかいない。
少なくともおれは出会ったことはない。
だから、顔の作りとしては平均的なのに、そういったハーフ=美男美女という先入観を持つ人から、
「ハーフなのに可愛くないね」とか「イケメンじゃないハーフっているんだ」みたいなことを言われると、結構傷つくわけである。
人にもよると思うが、例えて言えば、子宮を無くした女性が「女なのに子供が産めないなんて」と言われるのと似たダメージだと思って良いと思う。
分かりやすく言うとメラゾーマくらい。
言い過ぎかもしれない。すみません。
しかし、そういう言葉を笑って返せるくらい、ハートに剛毛が生えてるやつはなかなかいない。
また、ハーフ=美男美女という先入観の賜物と言えば、「私ハーフが好きです!」という台詞が挙げられる。
寝転びながら見ているTVに写った、アイダホとかユタ州のアメリカ人が「忍者が好きだ。忍者がいる日本は大好きだ!」と言っているのを見て、
屁をこきながら「現代の日本に忍者なんかいねーよアホ」と笑う人は多いと思うが、
「私ハーフが好きです!」というワードは、結構それに似ている。
ただ、TVを通して見るアイダホの人と比べると、実際に面と向かって言われたりする分、ウケがよくない。というか、むしろ非常にウケが悪い。
おれのハーフの友人の誰に聞いてもそうだった。
「ハーフが好き」な人間のことを、たいていのハーフは嫌うのである。
(ハーフ好きな女の子と遊びまくってるやつもいるかもしれないが)
さて、まだまだ書きたいことはあるのだが、やらなきゃいけないことが山積なので、そろそろ筆を置きます。
コメントや、もしブクマが付いてもそのコメントはあまり見ないと思いますが、(ネガティブなのが付いてたら3日は立ち直れないので)
近いうちに続きを書くかもしれません。
改めて自分で読み返してみると何が言いたいのか、よく分からん感じですね。すみません。
(私個人を見て!ってことはそんなに言いたいわけじゃなく、どちらかというと、ハーフにありがちな属性を全否定してみただけです)
コメントあまり見ないと書いておきながら、はてなーがあまりにも優しいので、嬉しくなってちょっと追記します。
おれ自身は自分がハーフだからどうだとかって思ったことは殆ど無いのだが、
友人の中には、他人から言われる言葉とかを凄く気にする人が意外に多かったりします。
所詮は人それぞれの感じ方なんだろうけど、ハーフの人がTVで活躍しているのを見る機会も増えたし、
自分がハーフなのもあり、折角だからちょっと増田で筆をとってみた次第です。
世の中の皆がはてなーみたいに優しいなら良いんですが、そうでもないことってあるみたいなので。
その世代のハーフの人たち(ウエンツ前夜世代と勝手に呼んでる)は学校でいじめられた経験って多い。自分もそう。
別に理由はいわゆる「差別」ではないと思うけど、次ハーフについて書く時は、恐らくそこらへんも書いてみます。
あと「ハーフ」っていう呼称が良くないって風潮もあるが、それも人それぞれ。
結局のところハーフって呼称が一番定着しているから、便利だし自分でも抵抗なく使ってる。
「ハーフ」って言われると人格を半分否定されているって思うのは、ちょっと被害妄想気味っぽいかも。
そういうこと言うなら逆に「ダブル」ってのもおかしいだろと。「ミックス」だと犬みたいだし。
自分は「混血」とか「雑種」とかも抵抗ないけど、「雑種」って言葉が嫌いな人は多いかも。
難しいね。
ただ、そういうことで騒いでるのは、「ちび黒さんぼ」の場合と同じく大体当事者じゃなかったりもする。
またダラダラとまとまりなく書いてしまったが、とにかく最後まで読んでくれてありがとうございます。
続きを書くとしたら2週間後くらいかな?多分。
はじめての増田だったので、緊張しました。
>>稲中
ごめん、稲中読んだことない。
あと、おれは上にも書いたように、呼び方にこだわらないです。
偽外人とか半外人とか言われても何も思わない。(会話の流れでは、逆においしいなと思っちゃう)
あと「ハーフが好きです!」ってのは男に多いかもしれないです。滝クリとかローサとか可愛い。ハーフじゃないけどスザンヌも可愛い。結婚したい!
でも、ハーフがみんな可愛いわけじゃないので。。
>>両親の馴れ初め
自分のことをあまり事細かに書いちゃうと、某会の人に誰かばれそうだったので自粛しました。(でも国際結婚で大恋愛ってイメージありますよね)
最初自分のブログで書こうかとも思ったのだけど、あまりにもしょーもないネタなのと住所特定される恐れがあるので初めて増田使わせてもらうことにする。
東京大学なら東大、京都大学なら京大みたいな感じで学校名を略称で呼ぶのはよくあることだと思うのだけど、その場合、うちの地元の中学が困ったことになる、というお話。
なんせ頭文字が「女」、しかも正式な読み方が「おな」なのだ。「第二中学校」を略称で表現してしまうと……あとはもう、わかるよな?
ちなみにさらにしょーもない話たとして、中学時代、自分は一中のほうだったのだが、近くに実在した「稲中卓球部」と練習試合をしたことがあったりする。一応勝ったが、強かった記憶があるなあ。
最近生まれた造語である「ガチホモ」のイメージにぴったりな、30代、ボウズ、髭、バルク系筋肉質なホモである自分が、「ガチホモ」の一サンプルとしての自分の情報を10の質問にまとめたよ。
自分一人のすごく偏った例でしかないんだけど、みんなの持ってる「ガチホモ」のイメージと、どこが違って、どこが当たってるかを見てみてね!
同性愛の話になると、こういう反応をする人いますが、残念ながら、、、ご安心ください。
ガチホモどうしの間でさえ、自分のタイプに遭遇することは難しいので、たまたま目の前にいるあなたがかわいいと思われている確率は限りなく低いです。
例えて言うなら、虎子レベルの女が、「やだー、○○君、私に気があるみたい〜」と言っているかのような滑稽さがあります。
ラグビー部とか柔道部とか陸上部(投擲系限定)とかなら間違いではない。でもこういう反応しないほうがもっとかわいいよ。
しません。二丁目とかそういう系のバーの多いエリアに通いつめる人には多いのかもしれないけど、そこ以外ではそんなに主流ではないと思う。
自分の交友関係は偏っているんだけど、自分の友達にはそういうの大嫌いな人ばかりです。
「オネエMANS」に出てるような頭の芯からおばさんみたいな人たちとは、同じ空気を吸う事すらつらいよ。
どちらも外来語であまり実感ない。別にって感じ。
「『ニグロ』は差別用語だから『アフロアメリカン』って言うべきですよね。」っていう感じの情報と同じで、知識として知っていても実感はない。
ふだんの友達同士の会話でも「ホモ」って言うしね。
「ザ・ゲイ」というどぎついゲイ雑誌が昔存在していたので、「ゲイ」っていう用語のほうが自分としては気持ち悪い感がある。
全くの迷信だと思います。ゲイの服飾評論家、映画評論家、その他芸術家も多数いますが、たまたま目立ってるだけじゃないかと。
ゲイ自身にもこういうことを口走る人々が多数存在する。あたかも「自分もそうだ」と言わんばかりに。恥ずかしい事だと思う。
そういう人に限って、その舌の根も乾かぬうちに、血液型性格診断のような全く繊細さに欠けた会話を本気で楽しんだりしてるものです。
そんな単純な感覚で芸術の価値とか、ほんとにわかってんのかよ、、、と個人的には思います。(自分はそうとうに人を見下した性格ですね。)
会社には最近ばれてきてるんじゃないかと思う。でも、ばれつつあっても、あまりプライベートにつっこんでこない良い環境です。感謝してます。
基本的にしません。
兄弟だけには言ってる。兄に「お前は彼女いないのか?」としょっちゅう聞かれてて、めんどくさくなってバラしてしまった。
最初はびびってたけど、数年かけて今は大丈夫になったみたい。
親に言うつもりはない。自分は10代の頃の10年間を悩んで過ごした。同じ苦しみを、老い先短い両親に強いるわけにはいかない。
全くない。無理。
おっぱいとかほんとうにどうでもいい。ただの「皮膚と肉」っていう感じ。
女性器とかさらに無理。稲中で女性生殖器を「内臓?」って表現してたけど、まさにそういう感覚しか持てない。もしくはエイリアン。
人格的にすばらしいと思う事とか、話が合って楽しいという感覚はある。
でも宴会で「あまり近寄ったり、酔ってもたれかかったりしないでくれー!」と思うよ。「髪長っ!うざっ!」とかね。
思わない。最初はかわいかった。ある時期に自分のかわいさを彼らが自覚した頃から魅力がなくなった。
これは例えて言うなら、クラスの眼鏡っ娘で黒髪で図書委員の激萌な女子が、自分が眼鏡で図書委員であることが自分の魅力にとってプラスであることを自覚し、ある時期から「わたし眼鏡だし、図書委員だし、、、」などとあからさまに吹聴しだしたら、萌えるだろうか?ということのアナロジーで理解していただきたい。(この例えがいいのかも自信ないけど、通じるだろうか?)
今はケンドーコバヤシがかわいい。頼むからこのまま自覚しないでくれと思うよ。
一言で言うなら暗黒時代。自分は数万人に一人のレベルの異常者だと思っていました。
中学の性教育で「異性を好きになるのは自然なこと」という教育が追い打ちをかけた。あの性教育は自分にとってただの害悪。
親友(もちろん俺がホモとは知らない)と雑談中に目の前で「ホモなんか全員殺すべき」と言われたこともあって、きつかった。
今の若い連中はネットで情報が入るからこういう悩みはないだろうけど。
どうなるんだろうね?
子供は作れないし、妻がいるわけでもないし、そんなに財力があるほうでもないし。
いい男と同棲できて、長年連れ添えたとしても、どちらか片方は先に死に、もう片方が一人になってしまうんだし。
体力も衰えて、孤独死まっしぐらかもしれない。
ただ、ノンケに生まれて、妻がいて、子供がいて、財力があれば幸せかというと、じつはそれは十分条件ではないというのは、いろんなノンケ家族の話を聞いたり見たりで明らかになった。
なんらかの種類の、「前向きなあきらめ」が必要なんだろうと思います。それが何かはわからないけど。
どういう形であろうと、たとえ孤独になっても、ホームレスになっても、一人で死を迎えようとも、「それでもいい人生でした」と思えるかどうかが鍵なんだろうなあ。
読んでいただき、ありがとうございました。
全然関係ない話だけど、大学生の時、その作者と友人だという友達がいてさ。
稲中に出てくるキャラの苗字は皆、その周辺の友人から取ってるんだってさ。
で、そいつは「なんで稲中に俺が出て来ないんだ!?」と怒ってた。それだけ。
わにとかげぎすの3巻が出た。
知らない人の為に説明すると、わにとかげぎすは32歳で夜間警備員をしている主人公富岡が、深夜、ビルの屋上で流れ星に「友達を……友達を下さい」と希うところから始まるマンガである。作者は稲中の古谷実。
この紹介で分かるとおり、富岡はコミュニケーション能力の低い、世間から隔絶された人間として描かれている。富岡自身もそう言う認識を持っている。
「コミュニケーション能力は高いけれども、それを使いこなせていない人間」
に見えるのだ。
それを一番感じたのが3巻の斎藤との出会いのエピソードだった。
諸々の理由により失業した富岡は、再就職先の同僚として斎藤と言う男に出会う。
この時富岡は始めは敬語なのだが、あるタイミングを境にタメ語に変わる。
説明が難しいのでその会話の一部を抜粋する。
斎「……あいつ浮気してんだぜ」
富「え?」
斎「こないだ酔っぱらって『生まれて初めて顔射した』って浮かれてたよ……黒田さんとつきあってるのみんなにバレてないと思ってるんだ」
富「あの~…」
富「ガンシャって………何ですか?」
(中略)
富「いえ…持ってません…」
斎「もしかしてさ……今時ケーータイですら持ってない人?」
富「うん……持ってない人……まずい?」
(続く)
僕は始め読んだ時、あまりにも自然だった為この変化に気がつかなかった。
っていうか確かめてみたところ、1巻でも同じようなシーンがあった。
富岡さんはいとも簡単に敬語 → タメ語へと転換しているが、僕にとってはそれがとても難しい。
僕は基本的にほとんどの人と敬語である。この前親戚の子供の相手をするときにも敬語を使ってしまい、親御さんに笑われたくらいである。
僕が何故敬語かというと、それは敬語が最大公約数的にコミュニケーションを取る事ができる会話の作法だからだ。
ぶっちゃけていえば、最も失敗がないからだ。
だがそれは、同時に友好関係にある一線を明確に引く行為でもある。
だから普通の人はどこかのタイミングで敬語からタメ語に変わる。
たぶん、ほとんどの人はこんな敬語からタメ語の転換なんて意識せず、無意識的に出来ているだろう。
今のところ僕は、敬語からタメ語に変わると言うのは一種の意思表示だと考えている。
「私はあなたとならタメ語で話したいです。って言うかできたら気軽に冗談を言い合えるような仲に発展したいです」
っていう感じの。
僕はとにかく意思表示が苦手だから、これである程度納得はできる。
でも、どうもそれだけとも思えない。
なんで自分はこんな当たり前の事が上手くできないんだろうか?