はてなキーワード: 教育者とは
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/16a36fbc07184fd578750496967f1ecb
地方の無名私立大学院教授が天下り国立大学教授に噛み付いている。
子供が減る→レベルが下がる→就職率下がる→学生減る。というジリ貧スパイラルが、
大学職員を痛めつける。くだらない大学も多い中、多額の国からの補助金をがっぽり
と受ける私立大学だが、ヨソの天下りは気に入らない、既得権益者が気に入らない。
入ってくる学生が悪い、レベルが低い、世の中が不景気、社会が悪い、政治が悪いと、
何もかもが他人のせい。自らもチョイ悪以上の既得権にしがみついているのにしらんぷり。
対応を間違ったとしか言いようがないな。
君はたぶん、白痴に好かれてしまったことの不快感と白痴相手に何を言ってもしょうがないというあきらめの板挟みで自分の感情を昇華できずに、そのままトラウマとして抱えるに至ったのだろう。では君はどうすべきだったのかというと、矛先を変えるべきだったのだ。その白痴の保護者または教育者に対して、あなたがたがこういう行動を見過ごしたおかげで、私は異常な恐怖と不快感に襲われましたどうしてくれるのですかと、壮大に切れてみせるべきだった。なにか反論されたら、その数倍のパワーでもって保護責任者の怠慢をなじるべきだった。それはもちろん相手のためなどではない。自分の気持ちの整理のためにだ。
ここだけの話だが、身に覚えのないことで叱責されるほど辛いことは無いのだ。これを他人に味わって貰う以外に、君がトラウマを回避する方法はたぶん無かった。だが、こうすればたぶん回避できた。
いまさら遅いが。
2,3年生相手にだから、そう言えなくもないw
けど部外者といっても、水になじんでもらうためにきてもらっている部外者でもないだろうから、それが役回りだと思っているんじゃないか。ただ、古川氏も怒るところまではいいとしても、教育者として自分がどう振舞えばいいかは考えないとなあ。
僕は4年前10万で株をはじめ2年で500万にし、今1654万運用している。
しかし僕は学生時代まったく勉強ができなかった。成績も下から数えた方が早かった。
勉強なんて出来なくても頭の良し悪しには関係ないと学校から出てやっと気づいた。
勉強できない人間にはそれ以外の何か才能が必ず眠っていると思っている。
株をやってると数字ほど信用できないものはないと感じる。未来は計算できない。
あなたが何歳かはしらないが、有能な人が上場企業に就職してその能力を生かせば4年どころか数ヶ月で1600ぽっち稼いでしまいますよ。
さらに、あなたが今後今までと同じような運用結果を残せる可能性よりも、有能な人が年収をあげ続ける可能性のほうが高いと思われます。
「少年はカレー事件の林真須美被告の息子であるために狙われた」です。
親が犯罪者でも子供に非はないのに、実際には差別される子供がいる。その弱い立場の子供を守るべき児童養護施設で、女性教師がその弱さにつけこんで少年を【強姦】していたことを、3月30日号で報じた。今回、当事者の意思を受け、あえて再び報じる。少年は「カレー事件」のために脅されていたのだ。
「県に安心できるといわれて任せた施設で、女の先生が生徒を強姦するなんて許せん。コトが公になってからも、謝罪の一言もない。それどころか、被害者である未成年のうちの長男に責任を転嫁するような話も聞こえてくる。カレー事件をダシにして長男を脅かして、強姦なんて人間のするこっちゃあない。腹に据えかねる。黙ってはおれんわ」怒りをぶちまけるのは林健治氏(61)。
1998年7月、和歌山市で猛毒のヒ素が入れられたカレーを食べて4人が死亡した「和歌山カレー毒物混入事件」の容疑者として逮捕された、林真須美容疑者(45)の夫である。
本誌は前々号で、和歌山県の児童養護施設で女性教師(26)が男子生徒を強姦していた事件をスクープした。
実は被害にあった男子生徒A君(19)は、健治氏と真須美被告の長男だったのである。A君が和歌山の養護施設「B学園」に入園したのは、98年10月に両親が逮捕されて間もなくのことだった。(その後、真須美被告は殺人罪で死刑判決を受け上告中。健治氏は詐欺罪が確定し服役)。 「両親が逮捕された10月4日、警察の人に『2週間分の衣類を持って車に乗れ』と言われ、きょうだい4人、和歌山県の施設に連れていかれました。そこに2週間ほど滞在し、その後、連れていかれたのがB学園でした」(A君)
数年が経過した中学3年生のとき、臨時職員のKがやってきて【強姦】が始まったという。「無理やりセックスされ、何度も逃げようとしたが、できませんでした。理由の一つがカレー事件です」とA君は言う。
当時、A君のきょうだいもB学園にいた。事件の反響が大きく、他の身内もきょうだいの引き取りを拒んだためだ。それを見透かしたようにKはA君に、「お父さんもお母さんもいないし、どこにも行くところがないよね」「何があっても、両親とは住めんわな」などとカレー事件を念頭にささやいたという。
直接「事件」を口にされたこともある。高校一年のとき、和歌山県内のラブホテルに連れ込まれた。「ここなら逃げれる」と思ったA君だったが、「カレー事件ってどうなったんやろ。わかっているよね」とKはA君に言い放ったという。A君は言いなりになるしかなかった。
「当時、まだカレー事件の印象は強かった。事件のことを言われると、手も足も出ない。K先生は、たばこやCDをくれたりする一方、拒否した翌日には、夕食がなかったり、風呂が水だったり、さまざまな仕打ちを受けた。自分が我慢するしかないと思った」A君はつらい表情でそう語るのである。
だが、事件発覚後、Kは真須美被告にあてた謝罪文で、(双方に恋愛感情が芽生え、このような関係を持ってしまいました)と書いている。
B学園のM園長も、「2年間も関係があったということは、恋愛感情があったんじゃないか。いやならとっくに関係を切っているでしょう」とA君にも非があるような見解を示した。
これを伝えるとA君は憤った。
「ずっと年が離れた先生に恋愛感情なんてあるわけない。強姦は50回以上あったが、一方的にK先生が行為に及ぶばかりだった。脅されてどうにもできず、苦しんでいたのに・・・」
M園長は、事件が発覚した05年4月当時は和歌山県に勤務し、この問題の収拾にあたった後、B学園の園長に就任した。「強姦」事件に最も詳しい関係者の1人である。
だがM園長は、
「K先生がA君を脅したかどうかですか?発覚したとき、K先生が事実をみとめただけ。混乱していたから、そんな質問をしているどころじゃなかった。『50回以上強姦された』って、かなりあったとはきいているが、そんなにないでしょう」と、十分な調査もしていないのに否定する。
健治氏は、憤懣やるかたない様子で話す。「長男だけやないんや。長女もB学園と折り合いが悪く、飛び出した。他の子供も、殴られたり、小遣いとしてもらえる3千円をとりあげられたりしている。食事にカレーが出されたとき、当時の園長が『これヒ素入ってないか、大丈夫か』と子供たちの前で言ったそうや。これが教育者か!」
真須美被告も「絶対許せない」
A君の【強姦】事件が発覚した当時、健治氏はまだ服役中で、当時20歳で妊娠中だった長女が交渉約となった。
健治氏はこう話す。
「事件の心労から、長女は何度も切迫流産の危機にさらされた。結局予定よりも3カ月も早く未熟児を出産した。人命にかかわることや。B学園はそんな状況もわかっているのか」
これに対して、M園長はこう話す。
「早産したというのは、出産後に聞いた。本人がそう言うなら、事件と関係があるのかな。暴力や3千円の話は、うちじゃなく施設と併設されている学校の職員でしょう。うちは関係ない。カレーにヒ素という発言は知らない。言ったとしたら2代前の園長。もう亡くなってますわ。林さんの子供ということで、差別的な扱いはしていません。こちらが(謝罪も賠償も)何もしてないように言うが、やることはやっている」
問題のKは、事件後、県から05年肋6月17日付で保育士資格を停止された。だが、その期限は2年間で、あと3カ月ほどでKは「復帰」が可能になる。
「児童福祉法で停止は2年間と決められている。本人が登録すれば、また資格は戻る。それをするかしないかは本人次第」(県子ども未来課)
健治氏は、
「K先生がまた資格とって戻ったら、大変やがな。うちの長男以外にも被害者が4人いるから、つらいのに公表したんや。これからまた被害者が出るかもしれん。M園長や和歌山県は被害者のつらさを全然わかっとらん対応や」と名前を出しての告発に踏み切ったという。
また、現在、大阪拘置所に勾留されている母親の真須美被告からも、メッセージが届いた。
「長男からこの話をきかされたとき、控訴審の最中で、心配で倒れそうになった。私がいない間に長男や子供たちが悲惨な目にあい、心苦しい。K先生のことは絶対に許せません」
今西憲之、本誌・杉村 健
<おことわり>
本誌はは3月30日号では、男子生徒が特定できないよう、カレー事件や両親の名前については記述しませんでしたが、今回、被害者であるA君およびご両親の「両親が著者名事件で逮捕され逃げ場のない立場であることにつけこんだ悪質さを訴え、さらに被害者が増えないようにしたい」という意思を受け、事件名などを公表しました。
私もお手伝いでゼミに参加していますが、最近の学生は好き嫌いをはっきりと示すタイプが多いようで・・・。口に出さなくとも顔にはっきりと出します。
自制心がないというか・・・社交性はあるんですけどねぇ。
しかし、頭を使うことを「嫌」と言ってのけるとは、いったい何しにゼミへ来たのやら^^;
高度な課題を出されるというからには、ゼミの体質くらい事前に噂で知れているものだと思うのですが。まだ4月ですし、「何もしなくてもいい」ゼミへとやんわり誘導してやるのはどうですか(笑)
先生も教育者という立場上、見捨てるわけにはいきませんからね。
でも、相手は20を超えた大人ですから、自分の責任くらいは取らせる必要があります。
うちの先生は、「真剣にやらない」ことへの責任追及をとても厳しくされる方です。その代わり、本当に一生懸命ならば、優しく段階を追って指導してくれます。
山谷えり子首相補佐官(教育担当)は19日、社会の啓発広告を行っている公共広告機構(AC)と、広告の苦情相談に応じる日本広告審査機構(JARO)を訪れ、性や暴力などの有害情報から子どもを守る対策への協力を求めた。具体的には、テレビコマーシャルに有害情報が含まれているかどうかの審査を強化するほかコマーシャルの内容に応じて放送時間を配慮するなど広告の放映基準を策定することも想定している。
山谷氏は、政府の教育再生会議の事務局長の立場で政府の方針に理解を要請。訪問先のJAROで山谷氏は「不用意な有害情報が子供の心を傷つけ犯罪を助長する」と指摘。JARO側は「検討したい」と応じた。
傷ついているのは、子どもではなく、ホンネとタテマエを使い分ける大人たちのプライドの方だ。
結婚していても風俗に行って性を楽しむ。昼は教育者でも夜には女や男を買っている。そういうオトナの現実を子どもに知られることによって、性的道徳を教えている親の権威は失墜し、権威に依存する一部の親たちのプライドは傷つく。
恋愛やセックスの仕方、風俗の楽しみ方を子どもといっしょに話すためにはそれなりの人格の成長が必要だ。
だが、人格的に未成熟な親たちは、自分の人格で対話することができない。だから、そういう未熟なオトナは権威やルールに依存する。
だから山谷えり子たちはルールやモラルや権威を声高に訴えるのではないか。
というわけで、山谷おばさんにオススメの健全なテレビコマーシャルはコレだ!
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.youtube.com/watch?v=MMIhT6H0T9Y
http://anond.hatelabo.jp/20070224194128
逆にさ、人に教えてもらって成功したり能力を発揮できて本当に楽しいかって考えたことがある?
もちろんあります。いや、違うかもしれません。本当の意味で考えたことはなかったのかもしれません。
当時の私が陥っていた思考の罠は、
「人に教えてもらうことは、所詮はお情けに頼ること。自分では何もできないということを認めること。これは屈辱だ」
というものでした。ここで思考停止してしまっていました。
ある意味では正しいのかもしれません。でも、当時わかっていなかったことがあります。「自分ではなにもできない」というのが紛れもない事実だったことです。これを認める勇気がなかったことが全ての敗因です。
私見ですが、研究者として必要な能力は二つあります。「何を(what)するか」と、「どうやって(how)するか」の双方です。
このうち、whatは人から教えてもらうことが困難です。知識をいくら集めても、質の良い研究テーマは出てきません。何が重要か、何が面白いか、そのあたりの判断ができることが必要です。当時の私には、このあたりの能力はあったと思うのです。そういう意味で、私は自分が才能に欠けていたとは必ずしもありません。
一方で、howの方は人から教えてもらうことができるのです。そして、「やりたいこと(what)」の中からできそうな部分を切り出してくるような能力、これも広い意味のhowに入るのです。これこそ、私が見落としていたことです。知識は本や論文から手に入れることができます。しかし、知識を集めてhowにすることも難しいのです。それができるようになるためには、経験が必要です。そして、経験がなにもない段階から経験がある段階にステップアップするためには、先達の指導を受けることがどうしても必要です。
私には、whatとhowの区別がありませんでした。確かに、whatについて教えを乞うことは恥かもしれません。無目的に時を過ごすことの無意味さを自覚できていないからです。しかし、howについては教えを乞わないことが恥だと思います。歴史上多くの先達が一生をかけて成し遂げてきたことを自分だけの力で何とかしようというのは、無謀以外の何ものでもありません。
物理学の歴史上屈指の天才の一人として、アインシュタインがいます。彼の最大の業績としては、まず間違いなく特殊相対性理論が挙げられるでしょう。これは、時間とか空間といった日常的な概念に変更を迫るものとして、一般人の関心をも大きく惹きつけました。
ですが、アインシュタインの業績だと一般に思われていることを100とすれば、そのうちアインシュタイン独自のアイディアは実のところ2か3ぐらいしかないのではないでしょうか。光速度が一定であること、時間や空間が伸び縮みする可能性があること、これらは全て、ローレンツとかポアンカレとか、これも歴史に名が残るような当時の一流の人たちによって既に得られていた成果なのです。現代でも「アインシュタイン、特殊相対論を横取りする」などという本が出版されているぐらい、このあたりは微妙な話に属するのです。しかし、それでもアインシュタインは段違いに偉大だと私は思うのです。アインシュタインの理論は単純な原理からこれらの新しい結果を自然に導き出せる驚くべき明晰さに価値があるのであって、これにくらべれば、ローレンツやポアンカレのアイディアは斬新ではあっても、既存の理論の綻びを無理に覆い隠すようなその場しのぎのものにしか見えなくなってしまいます。しかしそれにしても超一流であるアインシュタインにして、せいぜい100のうちの2か3のアイディアしか出せないことは注意する必要があります。それが成熟した学問分野での研究者の世界というものです。
さて、アインシュタインは特殊相対性理論を発展させて、一般相対性理論を提唱しました。これこそは全く新しい分野の構築であり、100のうちの100のアイディアがアインシュタインのものであるといってもいいように見えます。しかし、この理論の肝である「曲がった時空」を扱うためのアイディアは数学のうちの「微分幾何学」と呼ばれる分野から丸々拝借してきたものであり、数学者の立場からみれば、長年にわたって構築されてきた理論にアインシュタインは物理的解釈を当てはめただけ、と言えなくもありません。そして、「微分幾何学」を物理学に適用するというアイディア自体もアインシュタイン独自のものではなく、その指導教官のミンコフスキーの助言に端を発するものなのでした。もしアインシュタインがミンコフスキーと知り合っていなければ、この理論の発見者はアインシュタインではなかったかもしれません。アインシュタインですらhowを指導教官から教えてもらっているのに、どうして稀代の天才でない人間にそんなことができるでしょうか?
華々しく成功して賞賛されたのはいいけど、後々まで、教えてもらった人に、
「あの時は世話してやった」と言われ続けるのは、あなたにとって屈辱じゃないの?
「こいつは使える、優秀だ」と、周りの人に評価されてうれしいの?
評価されて嬉しくないはずがありません。評価されなければ、自分の挙げた成果も日の目を見ず、どこかに埋没してしまいます。それが研究者の世界です。それでは実績を残したことにはなりませんし、研究を続けることもできなくなるし、社会に何の貢献もできていないことになってしまいます。目的ではなく手段として、評価されることは必要です。それを嫌って前衛芸術家を気取っている人は、一生を前衛のままで終わらざるを得ないでしょう。
それに、「あの時は世話してやった」と恩に着せるような言い方をされるのが嫌だといったところで、指導を受けずに何の成果も残せないこととどちらを選ぶかといわれれば、答えはいうまでもありません。それにそもそも、弟子が華々しい実績を上げれば、黙っていてもその人の師は優れた教育者として歴史に名を残すことになるはずで、最初から自慢をする必要などありません。
この元記事を書かれたあなたへ。おそらくあなたは現役の学生なのでしょう。血気盛んに、何かを成し遂げてやろうと思っていて、私を二流に甘んじた人間とお思いなのだと思います。その意気は買うべきものがあるし、私が二流なのも事実でしょう。しかし、「何かを成し遂げる」ということは、あなたの思っている通りのことではないのも事実なのです。それを知って欲しいのです。上にアインシュタインの話を長々と書いたのも、アインシュタインであっても実際に成し遂げたことはおそらくあなたの想像より遙かに地味なことであろうという事実を知って欲しかったからです。所詮人間の能力には限りがあり、天才と凡人には言うほどの違いはありません。ただし、次に引用するニュートンの言葉が全てを物語っていると思うのです。これを肝に銘じ、有意義な学生生活を送って頂きたいものです。
「私が遠くを見通し得たとするならば、それは巨人の両肩の上に立っていたからだ」