2007-07-28

http://anond.hatelabo.jp/20070728042204

  • 社会人にとっての評価とは給料なわけで、給料もらってたらそれでよし、その給料(評価)に不満なら交渉するなりもっと評価してくれるところに移動するなりして世の中まわってると思う。元増田が求めてるのはそれとは違うんだよね?充分な給料+αの部分なんだよね?
  • まあ世の中には賞賛とか自己の納得のために、金銭的対価の評価を求めて活動してる人もいてるし、そういうのを求める気持ち自体は珍しくはないんだろうけど、そういう人らは、その分現時点での金銭的対価を諦めたり、リスクを負ったりしてるからなあ。両方揃って当然ではないと思う。
  • もちろん幸運な環境に当たって、金銭的対価とそれ以外の評価、両方満たされてる人もいるだろう。世のニーズに合った実力を持った人はそうなりやすいかもね。でも、偶然の巡り合わせでそういうポジションにおさまった人もいるだろう。しかしそれはそのケースが幸運なのであって、それが当然と思ってしまうのはあまりにも不幸だ。
  • 君が評価してもらえないことを逆に考えてみよう。君は、君の周囲の人全てを充分に評価してあげることが出来るかい?本人にちゃんと伝わるように、いつも気にかけて、必要なときに充分なだけ声をかけてあげることが出来るかい?君が出来ないのなら、それは君の周囲の人にとっても一緒だ。君のところに評価がまわってこないのは、そういう理由だ。子供の頃の話?教育者は評価することが仕事のひとつ、プロなんだよ。今の君や周囲の人の職務にそれは含まれているかい?
  • もちろん君が特別に優れていれば、他所に逃げられたら困るので、君のことをいつも気にかけていて、いつでも賞賛してくれる人が現れるかもしれない。でもそれは「君が優れている限り」という条件付の代替の効く関係だ。周囲の期待という名のハードルはどんどん上がり、優秀な新人は後を追い上げ、応えるのはどんどん辛くなる。正直お薦めしない。そういうのはプライベート関係に求めるといいよね。この増田のように。
記事への反応 -
  • 今まで小学校、中学校、高校、大学、と、 頑張ってれば、たとえ結果がそれに伴なわなくとも、 誰かには認められるし、誰かには必ず評価された。 ガキんときの部活動とかでもそう。 ...

    • 社会人にとっての評価とは給料なわけで、給料もらってたらそれでよし、その給料(評価)に不満なら交渉するなりもっと評価してくれるところに移動するなりして世の中まわってると...

    • 誰かに認めてもらいたいって欲求は、恥ずかしいものじゃないだろ。 マズローの欲求段階説って説が生まれてくるくらい普遍的なもの。

    • 誰からも嫌われ、あいつは仕事ができてないと罵られ、あんな奴に給料払うこの会社がどうかしているんだなんて言い方をされ、本気で死ねばいいと思ったなどと陰口を叩かれ、無理矢理...

    • 俺はやっぱりガキみたいだけど、褒めてくれる専業主婦の妻をもらった。

    • もうちょっと人生の難易度低めに設定したら? 問題ない額の給料がもらえて、自分で自分のやってる事に納得がいけば、それでいいだろ。周囲の評価を意識するかどうかは結局自分の気...

      • 難易度下げて、それで果たして満足のいく人生を送れるのだろうか? 人生が何度もやり直しがきくのなら、それでもいいかもしれないが…

    • 仕事は「お金を稼ぐ手段」と割り切り最低限の事をこなすに留め、趣味方面で認められたい欲求を満たしている人も多いと思う。

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