はてなキーワード: ブレンパワードとは
っていう本で、ブレンパワードがボロクソ言われてる件について
そもそも本の趣旨が「たまにはカオスな(イロモノ)アニメを観て楽しもうぜww」っていう感じで、
そこから間違ってる気がした。
「理解させる気ゼロ」とか、てめーが理解する気ゼロなんだろーがクソッタレ死ねボケ。
ユウブレンとネリーブレンの見分けがつかないとも書いてあった。アホか。まともに見てりゃみわけつくわ
大まかな展開の解説も書いてあったけど、投げやりなうえに、シーンの意味深さを面白おかしく所々太字で書いてやがる
バロン・マクシミリアンをコスプレと称したりとか、ストーリーが解らないからネリーの死が印象に残らない、とか。
「大事な事件が起こっても全体のストーリーは全くわからないまま」とか。
こういうやつは「ああ、これは御大将(笑)のアニメだから、俺には到底理解できないんだなwイミフwオモローw」とか思って観てるに違いない
そんなやつが何観ても理解できるもんかよ。面白いもんかよ。
そのくせ最後は「理解できるまで何度も観よう」とかうまくまとめたつもりでいやがる。
クソが。そういうことはてめーが理解できてから書け。でなけりゃ一文字も書くな。
何よりムカつくのはこんな脳足りんがフンフン評論家気取りで能書き垂れて金貰ってることだよ!
死に腐れバーカ
彼らの空気感がどうも自分のような古株のオタクにはよくなじめない。
もっと熱くなれよおおおと言っておいた。
古株でなくてもなじめません…… オタクですがオタクの友達がいません。
mixiなんかでつながろうとしても温度差にめげます。
レンタルビデオの会員証持って居ないオタクがいることがカルチャーショックでした。
好きなんだからガツガツする、つうのが通じません。
ガツガツするほど好きじゃないけど、でも好きなものがないとさみしいからそれが好き、レベルのひとばっかりです。
要するに「DVDは買わないけれど、グッズは買う」または「何も買わない」ひとたちです。
エヴァファンよりも、読んでるエヴァ関連インタビューが多かったりします。
「アンノ監督は同人受け狙ってエヴァ作った」なんて常識の範囲内だと思っていました。
富野監督好きな人とお話した際に、相手が『海のトリトン』『機動戦士ガンダム』すら観ていないこともありました。
ちなみに好きなのは『キングゲイナー』『ブレンパワード』だそうです。
チラ裏ごめん。
追記:ニホンゴテイセイしました。わかりづらくてごめんよ。
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「∀以前」を濃縮しきっていて、「∀以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。長さも4クールだし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この世界名作劇場的総まとめな作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなアニメ(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「ガンオタとしてはこの二つは“腐女子向け”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のSFアニメオタが持ってる軌道エレベーター時代への憧憬と、スタジオオルフェ監修のオタ的な考証へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも水島精二な
「俺ガン(俺ガンとは - はてなダイアリーではなく、「俺がガンダムだ」の台詞)なださカッコよさ」を体現する刹那
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「○○○だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の主義主張が(先進国では)その後続いていないこと、これが中東では大人気になったこと、
全米ならドキュメンタリーになって、それが劇場で公開されてもおかしくはなさそうなのに、
00年代でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりアニメは子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「機動武闘伝Gガンダム」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける3DCGへの思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも「ガンダムシリーズ」の最長の全52話、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「3DCG」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
「ザコザコアワー」の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
富野や福田だったらきっちり全50話にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて全52話を作ってしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえSDガンダムがそういう作風でなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でZ見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
逆シャアよりも前の段階で、富野の哲学とかアニメ技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品がテレビアニメでこの時代にかかっていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくアニメ好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるブレンパワード以前の富野を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
富野の「目」あるいは「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらないガンダムシリーズに区切りをつける」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそアニメ版『∀ガンダム』最終話は「ディアナ様、また明日」以外ではあり得なかったとも思う。
「人気シリーズ化したガンダムと共に生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
終着点は逆襲のシャアにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうヤンデレ風味の恋愛をこういうかたち(カテジナさん)でアニメ化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にファーストを選んだ。
∀から始まってファーストで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、80年代以降のアニメ時代の先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。