私は今まで、『マラ』が男性器を指すことから、『マラカス』と『チンカス』は同じ意味だと思っていたので、そのような文脈ではまったく平等に使用してきた。
ただ、稀に他人との意思疎通でズレを感じることがあった。あまり大きな問題だとは感じていなかったので、小さな違和感があった場合でもそのまま通した。
長い間そのままだった。切っ掛けがどういうものだったのかはもう忘れてしまったけれども、あるとき、私は自分自身の無知を完全に自覚した。
しかしながら、己の過ちを認めることは非常に大きな試練だった。余りの羞恥心に顔から『マラカス』が噴き出ている感覚に常に襲われていた。
生きるのがしんどかった。いや、これは現在もそうだ。過酷な試練を乗り越えた今も生きるのはしんどい。
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