名刺のディティールや予約するレストランの評判だとか、些末な物事へのこだわりはあまり身のあるものだとは思えない。
でも果たして芯まで身の詰まった価値なんてものが存在するのだろうか。
音楽の蘊蓄を語っても、浮かれたセックスをしても殺人をしても何か満足出来ない。
罪を告白して胸の内を見つめてみても浄化なんてないし、自身への洞察が深まることもない。そんな開き直りめいた気持ちすらも虚しさしか残らない。
みたいな究極的な空虚さがアメリカンサイコのテーマだと思ったけど、この受け取り方はおれ自身の物事の感じ方を投影し過ぎなんだろうか。
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