2022-11-27

表現者が、自分表現が誰かを傷つけることを恐れる状況って、社会にとってけっこう危機的な状況ではないのだろうか?

表現者はこれまでに無い新しい表現を見つけるべきであって、そこに価値があるから、人々はその作品お金を落としてきたのだ。

それが、自分表現の加害性を気にして、新しい表現がみつけられなくなる、少なくとも、新しい表現とは無関係な徒労を強いているとしたら、それは社会にとってもマイナスだと思う。

人々はこの閉塞感ある社会を打開する新しい表現を心の底から求めている。

それこそ、これまでの時代以上に。

から、新しい表現に対して、その加害性を叩くのは辞めにしないか

から日本人は新しいものが出るとすぐ叩くと言われる。

そういうのを辞めないと、本当に日本という国が終わってしまうとさえ感じる。

そうやって表現がどんどん狭められて、人々の考えも固着化する。

その結果が、最近はもはや当たり前となってしまった、人々の特定思想への傾倒だ。

それは、右翼左翼に限らない。

豊富表現を失って、人々は思考力まで失ってしまたから、なんか強い思想に流れてしまっているのだ。

そういう固着を打開するためにも表現の自由を取り戻すべきである

思想の固着は、表現多様性を失ったために生じているのだ。

  • 本当にその表現がアートだっていう信念があるなら人種差別でもジェノサイドでもゲイ差別でもなんでもやりゃいいじゃん そこで辞めるならそれまでじゃね

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