子持ちが子無しや独身を叩く時の便利な常套句が「お前が老人になったときの面倒を誰が見ると思ってるんだ」とか「社会システムのフリーライダーである」とかな訳だけど、大多数の人間は単に子供が欲しいと思ったから子持ちになっただけで、別に未来の老人や社会システムのために子供を産んだわけじゃないと思うんだよな。
欲しいと思って産んだものがたまたま社会システムの役にも立つというのは、美味いからという理由でポテチを買って食べてたらたまたま経済の活性化に貢献してたというのと構造として同じことにしか見えない。それなのに「子供を持たないことは社会システムへのフリーライドである」とか主張するのは、まあ間違いではないけどあんまり筋は通ってないよね。「ポテチを食べることは経済貢献である!皆ポテチを食べなければならない!」とか言われても…というのとどうしても同じ構造になってきてしまう。
「子供に興味ないし欲しくないけど、社会システムや未来のためを思ってあえて子供を作り、やりたくないけど社会のためになる人間に育てるために立派な親を演じることに耐えている」という人間に言われるなら分かる。それは崇高な志だと思う。「子供を持たないことは社会システムへのフリーライドである」と主張する人達のうち、そういう人って実際にはどのくらいいるんだろう?
パートナーが欲しいといっている+社会正義 の合わせ技で子供作った育てている人ぐらいいくらでもいるんじゃない。 普通はパートナーの話しかしないだけで。 それと、ポテチの...
パートナーが欲しいといっている+社会正義 の合わせ技で子供作った育てている人ぐらいいくらでもいるんじゃない。 それは95%「パートナーが欲しいといっている」が理由で社会正...