もちろん安倍晋三が国内でいかに民主主義の理念、あるいは手続きを踏みにじって来たかは今更言うまでもないことであるが、にもかかわらず安倍晋三が国外では「民主主義の庇護者」というイメージを一定以上確立させているのは動機はどうあれ中国という覇権主義的な独裁国家に対して、ときに毅然とした対応を採り、台湾という民主主義国家に対しても同じ自由主義陣営の国として明確にメッセージを発してきたからだろう。
これは本来なら左派の役割であったのではないか。左派の怠慢、暢気な一国平和主義こそが安倍晋三を民主主義の庇護者に仕立て上げる余地を与えてしまったのではないだろうか。