2022-06-29

問題1987年中日投手コーチは誰か?

もともとキャッチャーとして中日入団した中尾氏が外野に回ることになった理由は、決して前向きなものではない。きっかけは1987年、右腕投手鈴木孝政が先発した試合での出来事だった。

 その日の鈴木は立ち上がりからストレートが走り、3回まで無安打、与四球1と抜群の立ち上がりを見せた。中尾氏が手応えを感じながらベンチに帰って腰を下ろすと、耳元から予期せぬ指示が飛んできた。

今日は真っすぐがいいけど、3回までは真っすぐが多すぎた。4回から変化球主体でいこう」

 ピッチングコーチの言うとおりにすると、4回、荒井幸雄ライトホームランを打たれた。チェンジアップ内角寄りに甘く入り、見事に仕留められた。それでも後続を抑えてベンチに戻った刹那、そのコーチからまさか言葉を浴びせられる。

「おまえ、真っすぐが走っているのに、なんで変化球をいっているんだよ!」

  • ・星野が強くものを言えない年上の池田か? (中尾も直接の苦情はコーチでなく星野に言った) ・現役時代実績で劣る高橋(中尾と一歳差)か 中日ドラゴンズ 1987 監督 77 星野仙一 ...

    • まあ、これは20歳年上の池田コーチやろうな。確定。耄碌始まってたんだろう。 「おまえ、真っすぐが走っているのに、なんで変化球をいっているんだよ!」

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