もともとキャッチャーとして中日に入団した中尾氏が外野に回ることになった理由は、決して前向きなものではない。きっかけは1987年、右腕投手の鈴木孝政が先発した試合での出来事だった。
その日の鈴木は立ち上がりからストレートが走り、3回まで無安打、与四球1と抜群の立ち上がりを見せた。中尾氏が手応えを感じながらベンチに帰って腰を下ろすと、耳元から予期せぬ指示が飛んできた。
「今日は真っすぐがいいけど、3回までは真っすぐが多すぎた。4回から変化球主体でいこう」
ピッチングコーチの言うとおりにすると、4回、荒井幸雄にライトへホームランを打たれた。チェンジアップが内角寄りに甘く入り、見事に仕留められた。それでも後続を抑えてベンチに戻った刹那、そのコーチからまさかの言葉を浴びせられる。
「おまえ、真っすぐが走っているのに、なんで変化球をいっているんだよ!」
・星野が強くものを言えない年上の池田か? (中尾も直接の苦情はコーチでなく星野に言った) ・現役時代実績で劣る高橋(中尾と一歳差)か 中日ドラゴンズ 1987 監督 77 星野仙一 ...
まあ、これは20歳年上の池田コーチやろうな。確定。耄碌始まってたんだろう。 「おまえ、真っすぐが走っているのに、なんで変化球をいっているんだよ!」