本能寺の変の直前、
上京する家康にたいする光秀の接待が悪かったといって足蹴にした、
という話があったりするが、
創作臭い話は抜きにしても、信長が家康に対して
かなり丁重に扱っていたのは事実であり、
接待が悪くてひどく叱ったため光秀の恨みを買った、
というのはあり得る話である。
もちろんそれは働きっぷりもさることながら、
家康の名大将の噂を、信長は逐一聞いていたからである。
また秀吉政権になってからも、
有力大名が困ったら、まず家康に相談してとりなしてもらっていた、
という案件がかなり多い。
伊達政宗、加藤清正、豊臣秀次といった有名どころはほぼすべて家康の世話になっている。
細かい家臣に対することなどまで相談に乗っている。
「内府殿に相談すればまちがいない」
という空気があったに違いない。
やっぱり人の上に立つ人間だったということだろう。
ちなみに家康に近い評価だったのは前田利家だったらしいが、
秀吉の後を追ってすぐ亡くなってしまった。
そういうこともあって天下をとった。
Permalink | 記事への反応(1) | 21:04
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側室が未亡人ばかりだったことから、「後家マニア家康」とかYouTubeで言われててワロタ https://www.youtube.com/watch?v=nanQp_W1P9I
家康のことだから、ちゃんと生める実績のある女性を選んだのだろう たまに生めない女性や流しやすい女性もいたみたいだからね 苛烈な時代だからね・・・