病気が蔓延し労働力が半分に削られ、いずれゆっくり終焉を迎えるという、社会生活そのものを実際は中にいるのに外側から観察しているような気分になる。
いかなる犠牲も、そういう大きな流れの一部分に過ぎず
諦念でも傍観でもないけれど、自分達が蟻をそういう目で見るかのごとく、人々の抵抗を嘲笑うかのような何らかの大きな意思が働いているかのようだと。
視野を広げて考えれば大局の中の小競合いは、宇宙からすれば小事であり、他人事。
その小事の為に逐一疲弊したくない。
小さな感性こそが私を彩る、証明する生きた証ではあるが、時代に、奔流に流されすぎている。
私は大海に漕ぎいでた小さな蟻。ポプラの葉すら大きな物に見える。
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