焼死・水死など、苦しい死に方をするのが怖くてしょうがない
一瞬で死ねそうな轢死やクモ膜下出血でさえ、恐ろしいほどの苦痛を伴うらしい
「死ぬのが怖い」→「考えてもしょうがない」というやりとりは数多く目にしてきたが、自分の死に方がどうなるのかわからないのが怖い
幸せな生活をこの先10年間過ごせる保証があったとしても、10年後に焼死や水死する事が確定しているのだとしたら割に合わず、いっそすぐにでも安楽死を選びたいとさえ思ってしまう
この先、1人で溺れるなどして水死することが確定し、最初は息継ぎせず息を止めて我慢すると思うが、
いよいよ我慢が出来なくなった時は水を鼻から吸うのと口から吸うのではどちらがより楽に死ねるだろうか?
どこかの島で餓死が確定したら、ありもので首を吊る選択をした方が楽に死ねるのだろうか
毎晩そんな事ばかり真剣に考えてしまい、そのたびに心臓の鼓動が早くなり、顔が熱くなる
まあ宗教かな。 宗教の本質は思考の外部委託だと思うんで、 答えが存在しないことを考える労力を無駄に費やしてしまうなら、 それを宗教に外部委託して労力の浪費から逃れるべきだ...