できない自分をなぜできないのかという理由を求めて自分は実は発達障害だからと納得するための理由にしてる人がいるように見える。
それはある意味で救済なのだろうけど、自分ができないのは発達障害だからという諦めに陥る呪いのようにも感じる。
確かに生来の能力の部分で決まってしまってる、出来が違う、と感じる人はいるだろう。
そのことを考えると発達障害という言葉が浸透するのは軽率な諦めにも繋がる部分があって好ましくない。
少なくとも軽度の発達障害レベルの人と一緒に生活していく人にとっては迷惑だと思う。
みんな一生懸命やってるのに軽度の発達障害を理由に諦められたら、一緒にやってる側からするとそんな風に諦めてやるんだったら一緒にやってる人間のこともばかにしてるのかなんだと思ってるのか他のところに行ってくれよという気持ちになる。
そういう風に思う自分は厳しいのだろうか?