人は誰しも心や頭の中で色々なことを思い、感じ、考える。
ただ、常にそれを言葉や態度など何らかのかたちで意思表示をするわけではない。
意思表示しない、できない、したくない、させてもらえない、etc.様々な事情や状況、判断がある。
いずれにしてもそれを選択したのは本人であり、どんなに思い、感じ、考えていても、それが表に出てこなければはじめからなかったのと同じである。
日本には「察する」という都合のいい概念があるが、エスパーや魔法使いでもあるまいし、他人の心や頭の中のことを過不足なく把握することは不可能。
むしろそのような相手任せの主体性に乏しいコミュニケーションは極めて脆弱なものであると私は考える。
もっと積極的に主体的に意思表示してよい私は考えるし、意思表示しない、できない、したくない、させてもらえない、etc.様々な事情や状況、判断があるのであれば、はじめからなかったのと同じ結果になるということについての責任を認識した上でその選択をする必要があると考える。