思い浮かんだのは「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」という言葉
本来のこの言葉の意図からは外れているのかもしれないが。
飛び降りた高校生を非難する人、同情する人、何かを理不尽だという人、何かを社会の犠牲者だという人、
これを書いている僕もそうだが、
この出来事は遠目からはコンテンツであり、悲しもうが憤慨しようが意見を言おうが、それは寸劇として消費されている。
一方、当事者にとっては本当の悲劇だ。
僕の祈りなど意味も価値も持たないが、ご冥福と今後ご遺族たちの傷が少しでも癒えます様、お祈り申し上げます
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