正しい結論を出すのが目的ならば、口調が強くなる必要は全くないし、論を否定されても感情が左右される必要はない。
「君はいつもそうだ」とか「君の言うことはおかしい」と「相手」を主語にして議論するのはそもそも間違い。「君の言った内容の○○という部分は矛盾している」なら間違いではない。
そういう議論の究極の場所に、国会があるべきではないのだろうか。
「で、誰が勝ったの?」と言うような人間にはNoを突きつけ、世界の人民を教育していかなければならない。エンターテインメントは外にいくらでもある。
人間には感情がある、というのは大前提である。なので、「意識して」そういうことをしなければならない。また、意図的に感情を逆なですることを目的とする言論は議論の邪魔。