障害者に対する社会保障や、安楽死の話題になった時に、誰かが必ず題名のようなフレーズを書いてくるんだけど。
仮に自分が交通事故や病気などで、急に障害者の立場になってしまったとする。
おそらく私は、障害者になってしまった私自身のことを受け入れることが出来ないと思う。
「自分が障害者になった時のことを考えて、常日頃から弱者に優しい社会になれるような思考や投票行動をしよう」とはならない。
障害者になった自分をイメージする勇気はないし、受け入れる自信も無い。
なので「自分が弱者になった時のことを考えないのか」と問われても、「考えない」という答えになる。
私たち人間は、困難な状況に直面した時に「立ち向かう」「逃走する」の二つの選択肢があると一般的に考えられているが、第3の選択肢もある。
それは「見ないふりをする」。
親を介護したくないし 自分も介護されるような歳になる前に死にたいから 安楽死制度を整えたいと感じる
安楽死制度なくても死ねますよ 自殺という方法なんですが
わかる。 最近「反出生主義」が流行ってるけど、先に安楽死制度だろと思う。
>安楽死制度なくても死ねますよ 自殺という方法なんですが 安楽死と自殺は違う
死にたかったら安楽死制度を作ろうとせずに一人で死ね。
実際のところは制度じゃなくてもいいわ 安楽死出来るようなお薬が手に入ればいい
すでにスーパーに置いてあるけど知らないだけだよ。化学の勉強するといいよ。
化学の勉強するような向上心のある人間が安楽死という安易な逃避手段を積極的に選ぶだろうか。
なぜ怒っている? 単なる願望の一つじゃないの?
横だけど、たぶん怒ってないと思うよ ただの願望のひとつ
なるほど。
お前こそなぜ自殺に他人を巻き込もうとしてんの?
行動と結果が結びつかない配慮が必要な人