私が子供の頃、公園で小鳥が死んでいたことがあった。 死んでいる小鳥を囲んで他の子供達は泣いていた。
私は素早く小鳥を掌の上に乗せて、母の所へ持って行った。
母は 「小鳥さんかわいそうだね、お墓作ってあげようか」
私の頭を撫でて優しく言った母に、私は「これ、食べよう」と言った。
「え?」
母はぎょっとし隣にいた他の子のお母さんも驚いたのか目と鼻と口が一斉にガバリと開いた。
その人が私の手元を凝視しているのを見て、
そうか一羽じゃ足りないかと思った。
「もっと取ってきたほうがいい?」と聞いて
二、三羽並んで歩いている雀に視線をやると
母が咎める様な声で叫んだ。
「小鳥さんはね、お墓を作って埋めてあげよう。皆も泣いているよ?死んじゃって寂しいね。かわいそうでしょ?」
「なんでせっかく死んでいるのに食べなきゃもったいないじゃん」
私の疑問に母は絶句した。
私は家庭で喜んで鶏肉を食べているところしか想像できなかった。
母は懸命に「小鳥さんは小さくて、かわいいでしょう?あっちでお花をお供えしれあげようね」
と言い結局その通りになったが私には理解できなかった。
皆口を揃えて小鳥を可哀想だとか言いながらその辺の花の茎を引きちぎって殺している。
「綺麗なお花。きっと小鳥も喜ぶよ」と言っている皆が頭がおかしいのかと思った。
作られたお墓を見て母は「ほら、悲しいねかわいそうだね」と母は何度も言い聞かせるように囁いたが私はそう思わなかった。
こういうことが何度もあった。