まあ、死んだら無だと(自分は)確信しているのなら、死ぬ間際の人間が何を信じていようが同じなわけで、そいつに都合のいい嘘を教えることに何の問題もないという結論になっちゃうよな
ただ「死に瀕している子供の心の安寧より大事な宗教的信念や哲学的議論は存在しません。」という結論、あれは正直セコいと思ってしまった
それは「子供という現代において価値の高い存在を人質に取れば、大抵の手段は許容されるし議論だってブン投げられる」というだけのことで、
それこそ相手がキモくて金のないおっさんなら、そんな無法は通らなくなってしまいそうだからだ
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