・・・と思っていたら、本当に現れてしまった。
大阪池田小の宅間、秋葉原の加藤、相模原の植松、そして川崎・登戸の岩崎容疑者。
岩崎容疑者のような事件を起こさない方法を考えているうちに、今回の放火事件が起こってしまった。
宅間や加藤を死刑にするのは簡単だけど、二度とああいうのが現れないために社会が出来ることって何かあるかな。
宅間は自分の人生の不幸さを呪っていて、加藤も同じようなものだった。
お金の問題だったら、政治の「富の再配分」で何とかなる。
しかし個人の不幸というレベルの問題に、社会や政治は関わっていいものだろうか。
Permalink | 記事への反応(1) | 10:45
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どうせまた持て余した人間の処分だけは宗教に丸投げしようとするんでしょ 知ってる
私立カリタス小みたいなところで宗教教育を受ければ良いよな