イチローは「努力の人」だろう。
「道具のせいにするな」
「環境のせいにするな」
「制度のせいにするな」
「与えられた条件でいかに成果を出すかが一流と三流の差だ」
現代日本にはそういった風潮がある。
そしてイチローは努力至上主義者のエビデンスとして用いられがちだ。
道具も環境も制度も言い訳に過ぎない。
結局、ものごとの成否を分けるのは「人」の差だ。「努力」の差だ。
「即戦力」さえ採用できれば、現状を打開することは十分に可能だ!
もはやイチローは個人という次元の概念ではない。
イチローとはアイコンなのである。
「人材の力」ですべてを解決しようとする人たちの……。
イチローという出来事は「突然変異や天才に期待する現代日本」を象徴する。
Permalink | 記事への反応(1) | 06:41
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まあイチローを称賛するということは努力していない自分を認めてしまうということだからな 努力するイチローも努力してこなかった自分も「認めたくないでござる」ってとこだろ