彼らは、才能なんかじゃないと言うけれど、才能というのは存在する。努力すれば上達すると言うけれど、上達しない人は存在する。
たとえば知的障害者の方でマトモに喋れず、あうあーって言ってるようなのは、彼らの努力が足りないわけではない。
彼らは生まれ持った知性の障害のために、多くの人が持って生まれる知的活動の才能を持っていないのです。
知性においてこれを認めるならば、どうして絵は違うのだと言うことができるのか。
実際に自分は、人生の1/3に相当する期間を、義務教育よりも長い時間を、絵の練習に費やしたけれど、ほとんど誰にも見てすらもらえない程度の能力に甘んじている。
某イラストSNSにおいて誰にも見てもらえずに流れるという経験も、一度や二度ではない。
今ではただ惰性と、無駄なことに時間を費やしてしまったという後悔から逃げたくて描いているようなものだけれども。
それでも続けている、そして流れ去った昨日の絵を見て、また悲しみに暮れるのだ。
こういう人間もいるのだ、それでも才能じゃないと、誰でもと、言えるのか。
わかるわかる 便座の上で踏ん張っても出ないときは出ないよね
と思うだろ? で、席に戻ると便意がするんだよ そこでトイレにまた行こうとすると、仕事の相談とか誰か来るんだよ
あなたは大丈夫だ、それはプラトーといって、一時的なものであるから、別なことを行うなどして刺激してやることで出すことができるようになるでしょう。