「ずっと他人に傷つけられてきたから自分は絶対に人を傷つけない」というの、本当に正しいのだろうか?
そんな「掟」を律儀に守っていれば、相手が感化されて攻撃をやめてくれるとでも? お笑い種な気がする。
確かにみんながそれを守ってくれれば優しい世界が到来するだろうが、残念ながら世界はそんなに優しくないのである。
他人を攻撃するというのは自分を守るためだと思う。攻撃をしないと決めることは自分から白旗を振っているようなものだ。あとは攻め落とされて、踏みにじられて殺されるだけだ。
確かに貫き通したい信念、そこだけは純粋でなければ自分が嘘になるという事柄はあるだろう。しかし、全てが純粋なままでいては殺されてしまう。
そういう輝かしい少数の透明な核を残して、あとは闇に沈めてしまおう。部分的に純粋さを諦めるのである。
自分で主張しなければ、不当なことに抗議しなければ、多数の暴力にあって押し負けるだけだ。
他人を傷つけることを恐れてはならない。自分の中に巣食う悪魔をなかったことにしてはならない。欺瞞に落ちてはならないのである。
それを見つめ、認めて、そんな卑劣さの芯にある暖かい優しさを持つ人間になりたい。卑劣さを憎んで卑劣になるのである。
私? 私はね、人の誇りと尊厳だけはふみにじりたくない。相手を対等の存在者として、畏敬の念を抱きつつ対話をしたいのである。
殺されるって・・・