何となくわかる。
「なんか知らないけどコイツといると楽しい」そういう関係が友達なんだろうかと考えた時に「じゃあ自分は相手に対して「楽しい」を提供できてるのか?」とどうしても思ってしまう。何かに深い造詣があるわけでもないし、色々なことにアンテナを張っているわけでもない。話を面白く広げるスキルも、聞き手に回って相手を立てるスキルもない。あれこれ考えて会話の前から疲弊してしまう。これでは相手に提供するどころが、自分自身何一つ楽しめてない。
もしかして自分には友達なんて存在せず「敵ではない知人」しかいないんじゃないか。それでも相手はもしかしたら自分を友達と思ってくれてるのかもしれない。そう思うと後ろめたくて余計関係をたもつのが辛くなってしまった。
「そんなに考え込むことじゃないよ」って言われらそうなのかもしれないけど、もうどうにも考え込んでしまう。不安を拭えない。
友達関係って、何気ないやりとりが編み目となっていってほどけない編み物になるイメージなんだけど、その何気ないやりとりをし続けることができない。 だからいざ助けを求めたくて...
何となくわかる。 「なんか知らないけどコイツといると楽しい」そういう関係が友達なんだろうかと考えた時に「じゃあ自分は相手に対して「楽しい」を提供できてるのか?」とどうし...
自分には友達なんて存在せず「敵ではない知人」しかいないんじゃないか この感覚わかりすぎて辛い
A:毎年、日本の税金をアメリカに上納しているからです。 敗戦国の日本は、今でも国連で敵国条項(軍事的制裁)の対象にされたまま。 敗戦国の日本は、アメリカのATM。日本人は...
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