『世には往々ほんの僅かの苦しみにもたえず、周章狼狽、意気沮喪して敗北しながら、意思の薄弱なのを棚に上げ、山の驚異や退却の困難をとき、適当な時期に引揚げたなどと自讃し、登山に成功したのよりも偉大な如くいう人がある。
しかし山を征服しようとする我々は、こんな敗軍の将の言葉などにはいささかも耳をかさず、登頂しないうちは倒れてもなおやまないのである。』
時折この一節を思い返す。
去年、私はある挑戦に対して「引くべきではないか」という提言を行った。
結果から言ってしまえば私の提言は殆ど無視され、挑戦は本番まで継続され、結果それ以上の人的、物的損害もなく一応の成功を収めた。
私はその後、その挑戦を行う集団から身を引いた。已まざる理由は複数あれど、やはりこれ以上付き合ってはいられない…と思ったのが最大の理由だった、と自分では思っている。
私はしかし、自らが『ほんの僅かの苦しみにもたえず、周章狼狽、意気沮喪して敗北しながら、意思の薄弱なのを棚に上げ困難をとき、適当な時期に引揚げたなどと自讃し、成功したのよりも偉大な如くいう敗軍の将』なのではないか、そうなろうとしたのではないか、という自らに対する疑いを晴らせずにいる。
多くの艱難を乗り越えて挑戦を続け、そして成功させた彼らは偉大だった。