2018-10-17

『世には往々ほんの僅かの苦しみにもたえず、周章狼狽、意気沮喪して敗北しながら、意思の薄弱なのを棚に上げ、山の驚異や退却の困難をとき適当な時期に引揚げたなどと自讃し、登山成功したのよりも偉大な如くいう人がある。

 しかし山を征服しようとする我々は、こんな敗軍の将の言葉などにはいささかも耳をかさず、登頂しないうちは倒れてもなおやまないのである。』

以上の文章加藤文太郎氏による。

時折この一節を思い返す。

去年、私はある挑戦に対して「引くべきではないか」という提言を行った。

結果から言ってしまえば私の提言殆ど無視され、挑戦は本番まで継続され、結果それ以上の人的、物的損害もなく一応の成功を収めた。

私はその後、その挑戦を行う集団から身を引いた。已まざる理由複数あれど、やはりこれ以上付き合ってはいられない…と思ったのが最大の理由だった、と自分では思っている。

はしかし、自らが『ほんの僅かの苦しみにもたえず、周章狼狽、意気沮喪して敗北しながら、意思の薄弱なのを棚に上げ困難をとき適当な時期に引揚げたなどと自讃し、成功したのよりも偉大な如くいう敗軍の将』なのではないか、そうなろうとしたのではないか、という自らに対する疑いを晴らせずにいる。

多くの艱難を乗り越えて挑戦を続け、そして成功させた彼らは偉大だった。

私は、その偉大さに嫉妬し、その偉大なる行為邪魔しようとしただけなのではないか

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