アンチナタリズムは、人間の思想の一つの極点として、考えるに値し、そこから見える部分もある。
筋も通っていると思う。
思いつきの感想としては、アンチナタリズムは、欺瞞が跋扈した(せざるを得ない)社会を否定する立場として登場したと思われる。
何というか、人間が野生動物のように暮らしていたら、このような批判は出るハズがない。
人間が言葉を持って、社会を形成した時、必然的に生成される欺瞞的な立場への批判として現れたものだと考えている。
最近、100%純粋に生を肯定することは可能なのかと考える。
う〜ん、社会の構成員として生きるなら、無理な気がする。
一部の芸術家のように、瞬間を生きるなら、可能かもしれない(これは資本主義が作った幻想かもしれないが)。
Permalink | 記事への反応(1) | 23:43
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てか、正当性とか考えてる時点でおこがましいと思えないか?しかも他人様に対してな? 自分のイノチについてなら勝手にしろよ。
横ですが、オコがましいとかどうとかいうことと正しいかどうかは無関係ですよね 烏滸がましいというなら、手前の勝手で命を製造する方がよほど烏滸がましいと思いますが…
ワイは正当性については書いていないので、その批判は元増田へどうぞ。