『自分は女だと言い張りながら女子トイレに入ってくる男性』は普通であるならば立派な加害者である。
しかしLGBTという魔法の粉をふりかけた途端に彼らは加害者から一足飛びに被害者へと姿を変える。
そうして彼らが被害者へのアセンションを決めた所で、元々の被害者であった「男性が女子トイレに入ってくることに嫌悪感を覚えていた女性たち」は変わらず被害者である。
加害者が被害者という属性を手にした所で、元の被害者が受けていた被害が一切失われその人生に加害の事実だけが残るのかと言われればそれは違う。
今、LGBTに必要なのは『何でもありの寛容さ』ではなくその逆ではないだろうか?
『お互いが納得できるような境界線を引くこと』ではないのだろうか?