名は伏せさせてもらうが、今厄介なオタク達が熱心なコンテンツがある。
そのコンテンツの在り方について1年中アンチと信者は議論している。
思うに、コンテンツに対するアンチというのは8割型嫉妬である。(残りの2割は商売敵や酷い事をされた...とかだろうか)
嫉妬の対象はそのコンテンツの売り上げ、やり方、絵、ストーリーなどあるだろうが「楽しんでいる人」への嫉妬もあるのではないだろうか。
自分が重くて、そして早い情熱を注いでいた時にふと何かに衝突してしまえばその分の重くて、消えない嫉妬の運動量が保存される。
自分への戒めも込めてオタク達に忠告する。楽しめないと思ったのならやめて正解だ。ここで愚痴をこぼすのも間違いではない。
ただ、いつまでもそのコンテンツにエネルギーを向けるのは勿体ないと思う。色々な物に衝突していつか一体となって移動出来るようなコンテンツに巡り会えたらそれがオタクの本望なのではないだろうか。
精神的なエネルギーというのは、必ずしも保存則は成り立たないんじゃないかなぁ。。
確かに、精神的エネルギーと精神的運動量の間の関係は無いですね。
そう、グダグダ長ったらしい愚痴をわめき散らしてまでコンテンツにしがみつくぐらいなら、もう黙って去れやって思うよ正直 だって誰もお前にそこまで我慢しろなんて言ってないんだ...
コンテンツにしがみつくには負の運動をしないと動けないから「好きだから文句言ってる」、「批判の何が悪い」なんて言葉が出てしまう。 結局は楽しんでる人への嫉妬でしか無いし他...
別に批判なり要望なりしたけりゃすりゃいいと思うけど、自分の要望を通したいがために「私はこんなに苦しい思いしてるんですよ」アピールしてくるのが、まあなんとも汚えなと感じ...
社会活動家全般への流れ弾になってるからよせ