私の幸福のために、誰かの犠牲が必要だという社会では、誰かの幸福のために私もまた犠牲にされる。
誰を犠牲にするかを決めるのは、国や統治者であり、そういう国は全体主義国家である。
誰かの幸福のために誰かを犠牲にするという思想の本当の意味はこうだ。
何が幸福で何が不幸かを決める人や組織が存在し、その人や組織は誰が犠牲になるかも決める。
いや、みんなの幸福のためという名目で国民全員を不幸にする社会である。
どうして苦しくてつらい漁業や農業を社会のために続けなければならないのか。(すごく儲かるなら別だが)
どうして過労死寸前の労働をして医療体制を維持しなければならないのか。(儲かっても自分の命には変えられない)
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