2018-06-05

「ハンデがあっても◯◯出来る」という言葉

身体的・社会的立場などに何かしらのハンディキャップがあっても◯◯をすることが出来ます。」という言葉はよく耳にする。例えば、「学年ビリでも東大に行ける」的なものだ。しかしこのような言葉は実に無責任であり、ハンディキャップを持つ人に対する慰めどころか傷をつけ怒りを買うものだと思う。

 彼らが悩んでいるのは◯◯することが出来るという目標を達成することが著しく難しくなるということであって決して目標達成が出来ないことに対してではないからだ。誰もが少し努力すれば出来ることをハンディキャップが故に相当の努力をしなければならない、この状況に対して悲観しているのであってこれを弁えずにこのようなことを言うのは無神経だと思う。

 そもそも、このような言葉がまかり通るのであれば「女性でも昇進出ます。(だから男女の権利システムは変えなくてもいいよね)」という考えも公然押し出して良いことになる。しかし、現実では反感を買う言葉であるだろう。これと一緒なのだと思う。

 他者の苦悩に対しては無関心であるかもしれないが、それが故に傷をつけたり怒りを買ったりする。私自身もそれを注意しないといけないなとも思うこの頃である

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