「お金は無いので出せない、けど、面白いしやりがいはあると思うから参加して欲しい」みたいなのが、これに限らず多いよなあと思う。
まあボランティアはそれで全然良くて、お金が出ないから嫌だっていう人は出なけりゃいいだけの話だよね。
ただ、こういう「お金は出ないけど」で始まるものって、ボランティアにしろそうでないにしろ「借金してる」ことに変わりはないんだよな。
お金はないけど、自分たちにはそれなりに熱意があるので、その熱意を「面白いから!やりがいあるから!」っていうかたちで誘い文句にし、呼び水としているっていう状態がある。それって確かにお金は出てないんだけど、熱意を「信頼」っていう形で、募集者に対して借金しているにすぎなくて、実際始まってみて「やりがいがあるとか言ってたけど、これはひどい!お金が出ないどころのレベルじゃなかった!」ってなっちゃったら、その借金してた「信頼」すら失われるわけでしょ。
信頼を失ったらお金では買い戻せないっていうのは、昨今の色々なニュースを見ていれば、今の働き盛りの層ならすぐに分かる。
目先のお金をケチって「出せない」って思考停止するんじゃなくて、少しでも「出す」か、あるいは「出せるようにしていく」のが良い事業運営なんじゃないのかなあと思うんだけど、そんなにお金の話しちゃだめなのかな?別に絶対無償のボランティアじゃなきゃダメってのはないんでしょ?
五輪ボランティアなんて、無償な方がより良い人材が集まる典型例だと思うが…
案外やりたがってる人いるんだよな 生活に余裕ある家の奥さんとか「一生に一度の体験がさせられるんだし子どもと参加したい」みたいなこと言ってるし なんか保守系の小企業のシャチ...
五輪ボランティアの一番のむつかしさは、宿と交通手段の確保なんだよ。 宿と交通手段は、自分で確保してねって言われてるけど、五輪期間中にこれを個人で確保するのが限りなく難し...
都民(活動場所が都内でないならそこの地元民)だけで賄えるのでは?