しみったれた話をしたくない歳になってしまったけれど,私は,何かを望むことが怖い.
例えば,幼稚園の同じクラスの「**さんが好き」と思った瞬間に恋が叶わなくなる気がして,「好きと思うのをやめよう」と考えた.
例えば,「あのキャラが持っているおもちゃが欲しい」と思った瞬間に買ってもらえなくなる気がして,「おもちゃが欲しいと言うのをやめよう」と考えた.
別にひどく嫌われた経験があるとか,おもちゃが買ってもらえなかった経験があるとかではない(はずだ).
がっかりすること,落ち込むことが怖くて,意図的に「望まないようにしよう」と思考を逸らしていた.
その思考のせいか反対に「なぜあの時素直に欲しいと言わなかったのか!」と叱られることの方が多かったし記憶に残っている.
しかし,やめられない.叱られることよりも,望まない方が楽なのだと思う.
今,進路をどうするか決めてください,と言われて困っている.
希望を持ったことがないと言う悲劇のヒロイズムはもうかっこ悪い,という自意識だけがあるのに,
なかなか脱却できない.自分が弱いせいだ!と決めるのもまた思考停止のヒロイズムのように思われる.
こうして書き込んだのは,同じような思考回路の人は少なくないと思うので,それを確かめたい(申し訳ないのだけれど安心したい)