2017-04-30

物事主観的理解する習慣は大事だと思う

いきなり持論をぶちかますんだけど、物事理解するプロセス

主観(第一印象)→客観(一般論理論立てられた解釈)→主観(自分世界にどう取り入れるか)

と進むものだと考えている。

よく言われる「客観的物事を見ろ」みたいなものは第1段階の主観レベルで留まっているという解釈だ。

ある人物に対して何も考えてないと感じるとき自分はその人の主観理解の不足を疑っているんだと思う。

結局のところ、一般論を知ったうえで「自分はこう思う/感じる/考える」というのが重要だ。

人がこれだけいて、一般論簡単に手に入るなら、人が行うべきは主観的理解とその発信だ。

主観的理解と発信の場の代表例は議論だ。

議論が成り立つためには、相互他者理解自身理解に取り入れられなければならない。

そうでなくては議論にならない。話にならない。

まともに議論の出来ない人間物事主観的理解することが出来ていない。

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