かつてゲーム体験は価値そのものだった。プレイヤーは良いゲーム体験を求めた。ゲームをしている時間のために金を出した。
フリーミアムはそれを変えた。彼らはゲーム内部の価値に目をつけた。ゲームをプレイすることは、体系内で与えられた多様な物を認識しそれらに対し価値判断を行うことを必然とする。ゲームが新たな価値観を生み、それに合った価値に課金するという(マッチポンプとも言える)戦略が取られた。
新たな戦略はゲームの意義を変えた。ゲームは価値認識を植え付けるための装置となり、ゲームプレイは「労働」に変容せしめられた。「労働」を回避するため人々は動画広告を再生し、金を払った。「ゲームをする」ためではなく「ゲームをしない」ことのために金を出すようになった。
ゲームプレイを「労働」と認識する人たちが、そのために金を出すということが有り得ようか。マリオランはフリーミアム的認識の拡大を食い止めるための必死のあがきとも考えられる。現実世界で人々の価値観を変えるのは、しかし、ゲーム内での価値観を生み出すよりずっと難しい。
980円だったらそこまで騒いでないでしょ 皆、端数の200円が心理的に気に食わないだけ