TOKYO DESIGN WEEKの件で、お詫び文に前略・草々が使われたことが批判されている。
前略の代わりに、時候の挨拶を入れたらおかしくなる、というのが主な理由のようにみえる。
ただ、前略というのは、前置きを省くということを示すものにすぎず、常に「晩秋の候…」みたいなのを略しているわけではないんじゃないだろうか。
お詫びの文章でも、前置きを省いてお詫びにいきなり入ります、というのはそうおかしくないように思える。
また、仮にお詫びの文章がおかしかったとして、それが今回のケースでどこまで重要な問題なんだろうか?
運営側の落ち度らしきもののうち、この「前略」の問題は、重要度でいえば、10番目とか20番目くらいに思える。
自分が遺族だとしたら、本文の内容に激怒することはあっても、前略の有無で激怒することはないと思う。
一般常識として、社外向け文書で時候の挨拶は普通しない。 正しいか正しくないかは別として、怒っている人は「ネット検索して、一般的な『メールでの謝罪文の書き方』を真似、時候...
そんな常識あるの? むしろ社内向けの方が時候の挨拶いらない気がするんだけど
社内はもちろんないね。 社外向けとしては、例えば投資家情報(IR)とかを巡れば、「会社を支える格別な投資家」に対してでさえも、一様に「時候の挨拶なんてない」ことが分かる。
パッとググった限りだと、社内向けには使わないけど社外向けには使う、という記載が多いみたいだけどねえ。 株主総会招集通知をいくつか見たけどみんな拝啓で始まっているし。 IRに...
では前言は訂正します。(とはいえ、自戒の意味も含め、書き換えはしないけど。) とすると、俺みたいに「変な勘違い」をして「勝手な判断」で叩いているだけだね。 元増田の主張は...
いえいえ。 ネットの文例を真似たという憶測もあって批判されているという視点はなかったので参考になりました。