2016-09-30

人生詰んでからがお楽しみ、だな

どういうわけか鬱をこじらせまくった結果、悟った感じになった。

いちいち説明しないが、俺は人生を詰みまくっている。どうしようもないレベル

だけど、逆に考えれば人生に何も期待しなくていいわけで、

これから死ぬまで(たぶん酒もタバコをやらんので30年は生きられるだろう)は、

何の責任も負わずに生きられる、ずっと「遊び」みたいなもんなんだな、と気づいた。


実際、先日、魚川祐司(著)『仏教思想ゼロポイント』を読んだら、

悟った人間にとってそれ以後の余生は「遊び」のようなもの、みたいな記述を見つけ、

「あれ、もしかしてこれって今の俺の心境に似てるのかな?」と思った。

もちろん、修行瞑想もしていない自分ブッダと同じ境地に立てるわけがないのだが、

「どうにもならん(どうしよう)」から「どうにもならん(どうでもいい)」に変化した結果、

不思議と世の中やら他人に対する怒りが薄れていくのを実感したので、

もうこの調子で余生を送ろうと覚悟を決めた。うん、そんな感じ。

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