声をかけても返事がなく、どうしているかわからないらしい。
が、年二三度しか口をきかない私には唐突に「話しかけて」といわれても、
もう何を話したらいいのかわからない。
年二三度のときは、姉が自分から部屋を出てくる機嫌のいいときで、
自分からせっせと話しているのでこちらから話題を提供する必要がない。
声かけて無視されるよりは、メールの方が楽かなとは思っても、
自分がマメじゃないから返信し続ける自信もない。
大体私の方が先に姉のメールを無視してたせいで、
メールがこなくなっているのだ。
父と義父を見送って、人が死ぬと後悔することが必ずあるものだと感じ、
姉が死んでもきっと思うことがあるのだと思う。
でも、まだ生きている人と向かい合うことの重さの前に気持ちが塞ぐ。
気が塞ぐことを理由に向かい合わなかったことを後悔するとき、
寂寥はあるけれど、もう生きた人の重みはない。
そこにあるのは私の一人勝手なうすっぺらいうしろめたさだけだ。
Permalink | 記事への反応(1) | 16:40
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姉を兄に変えてから再提出