「狐につままれたような顔」っていうのを、ある程度大きくなるまで
「狐に包まれたような顔」だと思ってたんだよね。
そこそこ本を読む子供だったせいか、なんとなく「文脈」で言葉を推測して分かったような気になって、
「狐に包まれた」ら、そりゃ、なんたか騙されたような気がして、意外な感じになるんだろうと、
幸か不幸か、推測した「狐に包まれた」の意味が、「狐につままれた」の意味とズレなかったもんだから、
間違いが自分の中で発覚しなかったんだよ。
で、日常会話で「狐につままれた」なんて口に出すこともないから、
誰かに指摘される機会もなく。
自分の中ですごい恥ずかしい感じになったのを覚えてる。
あと「しかつめらしい顔」っていうのを、勝手に「しかめっ面しい顔」と変換してたな。
これも、何となく意味通じちゃうし、口に出して使う言葉じゃないし、自分の中で間違えちゃうと気づきにくいんだよな。
これは、ある日「鹿爪らしい」という表記が出てきて、これを調べているうちに気付いた。
あと、これは、ちょっと質が違うんだが、
まあ、「垣根の間から覗き見るように、ちらっと見る」という意味だってのは、字を見れば分かるので、そのままにしてたんだよね。
一方で、「かいまみる」という言葉は音声で把握して、意味も理解してたんだよね。
で、ある日、時折文章で見かける「垣間見る」と、音声で聞く「かいまみる」が同じ言葉だったと気づいて、
これまで、自分が読み間違いをしていたことに気付き、一人で恥ずかしくなったという。
まあ、これについては、人の前で音読しなくてよかったなあ、と思うが。
今でも「垣間見る」という文字をみると「これは『かきまみる』じゃなくて、『かいまみる』」とワンクッションおかないと読めない。