2015-11-11

狐につつまれ

「狐につままれたような顔」っていうのを、ある程度大きくなるまで

「狐に包まれたような顔」だと思ってたんだよね。

そこそこ本を読む子供だったせいか、なんとなく「文脈」で言葉を推測して分かったような気になって、

「狐に包まれた」ら、そりゃ、なんたか騙されたような気がして、意外な感じになるんだろうと、

幸か不幸か、推測した「狐に包まれた」の意味が、「狐につままれた」の意味とズレなかったもんだから

間違いが自分の中で発覚しなかったんだよ。

で、日常会話で「狐につままれた」なんて口に出すこともないから

誰かに指摘される機会もなく。

多分、中学の時に、文章よんでて気づいたんだけど、

自分の中ですごい恥ずかしい感じになったのを覚えてる。


あと「しかつめらしい顔」っていうのを、勝手に「しかめっ面しい顔」と変換してたな。

これも、何となく意味通じちゃうし、口に出して使う言葉じゃないし、自分の中で間違えちゃう気づきにくいんだよな。

これは、ある日「鹿爪らしい」という表記が出てきて、これを調べているうちに気付いた。

まあ、恥ずかしさは自分の中で処理できたからよかったけど。


あと、これは、ちょっと質が違うんだが、

垣間見る」というのを、勝手に「かきまみる」って呼んでた。

まあ、「垣根の間から覗き見るように、ちらっと見る」という意味だってのは、字を見れば分かるので、そのままにしてたんだよね。

一方で、「かいまみる」という言葉は音声で把握して、意味理解してたんだよね。

で、ある日、時折文章で見かける「垣間見る」と、音声で聞く「かいまみる」が同じ言葉だったと気づいて、

これまで、自分が読み間違いをしていたことに気付き、一人で恥ずかしくなったという。

まあ、これについては、人の前で音読しなくてよかったなあ、と思うが。

今でも「垣間見る」という文字をみると「これは『かきまみる』じゃなくて、『かいまみる』」とワンクッションおかないと読めない。

ついつい、なんとなく字面やなんかで「分かった気になっている言葉」には気をつけなきゃいかんなあ、と思う。

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