リクルータとして母校の学生と接していると「このひとを応援する気は起こらないな」という学生が一定数いる。彼らの特徴はなんだろうかと考え、それは共通して「このひとは俺のことをナメているのではないか。軽んじているのではないか」と感じさせることだ、との結論に至った。
どういうときに我々は「ナメられている」と感じるか。
最も目につくのは、差別。リクルータ対応後、お礼のメールを送る相手を選別する学生だ。「このひとには採用権限があり、このひとにはなさそうだな」と勝手に判断して、そういうことをやってしまう。学生からこちらに送られてきたメールは基本的に採用メンバーで共有するから、「ああ、このひとにだけ送ったのだな」ということが一発でわかる。メールの送られて来なかった側からすると、面白くない。きちんと全員にお礼のメールを送った学生とは、心証に大きな差がついてしまう。
心証は採用を左右する要因のひとつだから、こんなことでそれを下げてしまうのはもったいない。世の中にはぼくのように狭量で神経質なひとがいて、そういうひとが”採用側”に紛れ込んでいる可能性はおおいにある。だから、どうか我々の”劣等感”を刺激しないよう願います。その方が、お互い幸せになれると思うから。
デーブみたいな太鼓持ちにひっかかりそう
ブクマカとして匿名の増田と接していると「今うんこを漏らす気は起こらないな」という増田が一定数いる。彼らの特徴はなんだろうかと考え、それは共通して「このひとは俺のケツを...
フライヤーとしてキッチンの豚と接していると「この豚をジューシーにする気は起こらないな」という豚が一定数いる。彼らの特徴はなんだろうかと考え、それは共通して「この豚は俺...
太鼓持ちは太鼓持ちで不愉快になったりするんだよな。いい塩梅が難しい。
これ理系の話なんだろうなあ 理系でこれだからなあ。まあ大学に残ってももっとドロドロしてるんだろうけど ほんと社会は嫌なところだわ