2014-05-12

原発問題、国が安全性責任を持てば済む話。何故持たない?

美味しんぼの話をきっかけにネットやあらゆる所で議論を巻き起こしているが、

これだけの大きい議論が色々なメディア毎日活発に行われているということは、多くの人が興味を持っていて

かつ根っこの所で納得できていないような問題だから、ではないでしょうか。

今まではきっかけがなかっただけで、内心多くの人が不安や疑問を抱えていた。

からこのように、事を発した途端、様々な議論を呼ぶ結果となったわけでしょう。


これに決着をつけるのは、風評被害だとか、福島県民の温情だとか、そういった生ぬるい話ではなくて

これから福島安全性について、国が保障を持てばよいだけの話だと思います

それをしたくないから、国や東電はなりをひそめて、行き場のない怒りが議論を呼び論争を巻き起こしているのではないでしょうか。

事態収束するとは到底思えません。

国が責任を持つということはひいては国民責任を持つということでしょう。

福島を助けたいなら、国が責任をもって、問題がおこったら、全国民で助けの手を差し伸べればいいではないですか。

危険安全かなどという議論など、不毛です。

人々を安心させてあげるには、そうするしか方法はないのではないでしょうか。

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