前者(成長を見据えた叱り)なら叱ってもらって成長できる(的を射ていなかったり、自分の目的と遠くも近くも離れている場合はこの限りではない)。
後者(取捨選択の叱り)で叱られてばかりなら、相手に拒否られてでもそこから得られる何かでも無い限り、その環境から離れたほうがよいだろう。相手から拒否られてる、断られてるってこと。
何が言いたいかというと「叱る」「叱られる」という表現・言葉はおなじでも
背景や意図によって、叱られる側にとってぜんぜん意味合いを受け取って、自分がどう行動していくべきかまったく違うということだ。
ジュッパヒトカラゲに「叱られるのは愛情を受けていること」「他人の忠告は有難く受け取りなさい」とか言われても、
叱ってる側は拒否ってるのに、叱られた側から「貴重なお叱り有難う御座います。今後ともご鞭撻のほどを」とか言われて
近づかれてても、叱ってる側にとって迷惑。
迷惑なのを承知で押し売りしてるならともかく、「叱るのは期待している証拠」とか妄信されてもなぁ。
まあ拒否るほうは、本来は「叱る」んじゃなくて、「お断り」(できれば丁重に)するのが筋の通ったやり方だけど。