2011-05-03

差別をするな論とゴキブリ

ゴキブリ不快害虫であるが、生態系においては重要な役割を担っている。

ゴキブリを駆除するのは不快であるという理由が一次的である。その不快を取り除くために根絶すら辞さない。

しかゴキブリ生物の一員である

ここにおいて、差別をするな、というのは不快害虫から見た視座であり、もう一方、差別をするなというのは生態系の一員としてのゴキブリからの視座である

ゆえに、差別と非差別ひとつの対象において混在し、どちらの存在も許容しうるものである

翻って本邦で展開される「差別をするな」という論調は、その差別存在すら認めないこともある、強い論調である

嫌いなものを嫌いと言って何が悪いと問われれば、悪くはない。嫌悪感情に依るものだ。

しかし、そこに合理性が認められなければ差別をしてはならないという論も、合理性があっても差別をしてはならないという論も、聞かれる。

もちろん彼らは一枚岩ではないし、言ってしまえばこれは濃淡スペクトラムのごとく、差別とそれを拒むものとがなめらかに移ろうものかもしれない。

であるならば、これは一種の戦争状態であるパワーバランスの拮抗だ。状態は固定するだろうか。しないだろう。ゆえに終わりはない。

我々はその価値の共存を望まない限りにおいて、常に相手の価値を淘汰する圧力を掛け続けなければならない。

しかし、差別心とは感情に依るものであり、万人が万人の価値に基づいて差別を行うのである

これを駆除するのはゴキブリを家から追い出すなどという生ぬるいものはなく、地球の全生物戦争して己だけが勝ち残るという、闘争である

からこそ、差別をするな、などという暴力的な物言いはしてはならない。

許されるのは、「差別をしない」という主体的な心がけまでである

それを強要することこそが、戦争への一歩であり、それを避けることは、ほぼ不可能である

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