2011-02-06

http://anond.hatelabo.jp/20110206042022

いや、それ日本語に限らんから


その程度の裏表でへこんでると、アラブ世界じゃ暮らせないぜ。アラブ世界じゃ、「依頼されたことを断るのは失礼だ」とう認識があるから

 例 「分かった分かった。私に任せておきたまえ」=婉曲な拒絶

とか普通


日本語の難しさというのは、もっと指示語の多様さや文脈・敬語(敬意を含んだ代名詞含む)に依存する主語の省略とかではないかと思う。

 例

「そこは…さあ。まあ、お互いに、何とか、ということで」 ←「そこ?」「さあ?」「まあ、って具体的に何?」「何とか、のあとは省略?」「で、のあとは省略?」

「や、そこまで言われるんでしたら、ねえ」  ←「や、ってなんだ?肯定なのか否定なのか?」「どこまでか」「誰が言うのか」「ねえ、ってなんだ?」

「まあ、泣いときますか(苦笑)」  ←「だから、まあ、って何なんだ?」「誰が泣くのか」「泣くって、比喩?」「か、は疑問なのか反語なのか詠嘆なのか?」

たいな会話。これがなぜ

「この件については、お互いが互恵的に努力を重ねることで解決するようにしたいと提案するが、御社の見解はどうか」

「貴社も負担いただく、という提案については、非常に喜ばしく、前向きに検討することに同意したいと個人的には考えるが、担当として君の意見も聞きたい。」

「私も担当として依存ありません。本来の義務範囲を超えるサービスに当たるとは思いますが、社に持ち帰り、その線で契約する方向で検討させていただきたいと考えます。」

とならないのか。こういう、契約の狭間を埋める阿吽の呼吸とか、訳しづらすぎて困る婉曲的な会話の山を見ると、日本語つーか日本文化、面倒くせえと思う(笑)。(←さて、この(笑)にはどのような意味が込められているのか。)

記事への反応 -

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん