話しかけても会話が続かないいつもムスッとしてる卑屈なブスと、同じ顔でも笑顔で会話してて楽しくて深い相談などもしたくなる信頼できる性格のブスが居た時、後者の方が恋愛できる確率が高いと思わん?
理想が高く、自分の内面を高く見積もり過ぎ、人を見下し、女が普通に接してくれるだけで勘違いする。
噂で聞いただけの結婚相手の性格を勝手に妄想して自分より劣っているに違いないとか思い込み激し過ぎ。
付き合ってて快適だったのも気が合うっつより、コミュ力で高みに居る彼女が君に合わせてくれてただけだと思うよ。
自分を女に置き換えて考えてみ、異性に免疫ない喪女が会社で爽やかなイケメンと話して勝手に舞い上がって片思いして、結婚すると解ったら噂では相手がぶりっこらしいけどぶりっこってどうこうとケチ付けてグダ巻いて、運命の出会いだった彼以上の男は居ないから恋愛できないとか言ってるの、自分の痛々しさを客観的に見るといいよ。
彼女以上の異性が居ても今のまま相手よりレベルが激しく劣ってアプローチする気もないなら、恋愛できても片思いどまりだっつの。
実名だから、盛り上がること間違いなし!!。
1、大規模に晒されて炎上する奴が出てくる日。
これが、そのうち絶対起きるとおもうんだよね。その中でも、
1-1、内定取り消しになる。
なんか会社の秘密とか、履歴書の虚実などがばれて、内定取り消しになる奴。実名だから一発でばれる。
1-2、浮気がばれる。
なんかありそうじゃない?
1-3、あれ、もう思いつかないや。
とりあえず、mixiとtwitter界隈で起きたお祭りがもう一回起きるんじゃないかと、わくわくしてます!!
だれかマッシュアップしてくださる方、よろです。
基本動物はそういうものを醜く感じるようにできてるのだと思う。
弱った個体は排除されるべきだから。
でもそこで(こう思ってはいけない)と思い増田に書くことが、
あるべき人間らしい行動なんだと思う。
それを繰り返していけば慣れてあたりまえにふつーのことになるんじゃないかな。
それ、相手が20代でも10代でも思えよ。
別に 同じ会社ということは 給料そこまで大きく違うわけでもあるまい。ということで、最低限の生活が出来るということを考えたら
スタートラインにたてないとか、よくわからん。知り合いに結婚直前の女を奪った男もいる。たってるだろすでに。スタートの鉄砲もとっくの昔になっている。1位になれないのが怖くて、ビリが確定するのが嫌で、走りだしてないだけなのではないだろうか?
あ、ごめん。ワーカーホリックどうのこうのではない。
ワーカーホリックは良くないと思うし、ワークライフバランスは重要だ。
ただ、自分が仕事が出来るかどうか?というのは、若いうちは中堅以上の会社であれば、既存の付き合いのある会社など、いろいろ有利なフォローが見えない形である。
これを使っているのだから、先達に感謝しないと という話と。
次の世代に残せた奴が優秀という話と。
おっしゃるとおり、団塊の世代は何をやっていたんだ!という話であると思う。
それはあんた自身だろ。
前から自分の顔で一番嫌いな部分があるんだけど、完璧な顔の人なんかいないし治すお金もないから諦めてた。
でも会わせ鏡で見たらその欠点がすごくひどく見えて、今までみんなにすごく笑われていたんじゃないかと急に思いはじめた。
どうしよう、もう外に出たくない。
同じ部の女の子の後輩がえらい美人だわ、頭が切れるわ、性格さっぱりしてるわ、話しが合うわ、ですっかり虜だったんだけども。
本日、人づてで、会社の別の部署の方と今度結婚することが判明しまして、深く傷つきました。
愚痴ります。
いやー、なんか俺もうだめだわ。恋愛できないわ。もう。どうなってるんだこれは。
おいおい。オラオラ系って。くずじゃねーか、アホか。
あのね、全国の女性の皆さんね、耳かっ穿じってよく聞きやがれ。
オラオラ系ってのはね、女でいうとぶりっ子系なんだよ、わかってるそのこと?
オラオラ系ってのはさ、能力が低いか、能力が低いと思われるんじゃないかっておびえてる人たちなんだよ。
で、その不安がくだらねーことでオラオラアピールするようになってしまうだけなのよ。
俺様のように真に優秀で頭のいいすばらしい人間は、オラオラいう必要ないんだよ、だって結果が段違いだから。天才が隠していてもほどばしるから。
なぜそれが理解できないんだね、君たちは。
いやー、きつい。嫌だねヒトを好きになるのって。なんすかね、この糞システム。人生にいらない機能じゃねーか?この恋愛ってシステム。いやな気分になるだけじゃねーか、これ。
俺、恋愛できるのか、この先。
あの子と比較してよい女なんていない気がするのだが・・・。
そんな訳ないじゃん、みんな失恋のときはそういってるよとお前はいうかもしれんがさ。
いや、違うんですよ、みなさん。あの子まじ良い子なんだって。
人間の人生は高々80年な訳で、有限であるからには、どこかに最大の出会いが存在するのです。そして僕にとってそれはあの子なんじゃないかと思うのです。
この先俺が恋愛できることがあったとして、彼女を超える相手だと確信に至り恋愛できるのか。
もう逆に、何で俺のこと好きじゃないんだよ。好きであれよ。そうでなければならんだろ。
あとさ。
結構、ダメージあったので、カラオケで失恋ソングでも歌ってやろうと思っていってきたんだけども。
歌ってて思ったんだけど、たいていの失恋ソングってつきあってた人たちが破局する歌なんだよね。
つきあったなら、まだいーじゃねーか!!!おれもあの子とつきあいたかったよ!スタートラインにも立てねえじゃねえか。
なんなの?なんで、俺の歌がないんだ!能無しか、歌い手どもめ。
まだまだいいたいことはあるが、とりあえず寝る!さらばだ!
式場ででた料理だけは見栄をはって張り込んだらしく、葬式なのにいいのか、と思うほど旨く、
名古屋から来た祖母の親戚はけたたましくうるさい人ばかりで、初めての葬式は妙な葬式だった。
祖父の親戚は祖母と折り合いが悪く呼ばれなかったらしい。
祖母は祖父がおとなしい分というか、勝気でなんでも自分の意見を通してしまう性分だった。
そもそも結婚も、既に婚約者がいたのに、後から医者の祖父に乗り換えたような人だから、
金目当てであまり愛情がなかったんじゃないか、と思っていたから、特に不思議でもなかった。
式本番では、たぶん泣けないだろう、と思っていたけれど、結局泣いてしまった。
祖父が死んで悲しかったわけではない。
いつもふてぶてしい父が、祖母が、別れの段になって、ぼろぼろ泣くからだった。
背中を小さく丸めて、棺の小さな窓を覗き込んで、人前で泣いたりするから。
祖父の死は自分にとって大切な人の死ではなかったけれど、
もしこれがそうだったらどうだろうと、想像したら、もう、駄目だった。
仲の良い友達、可愛がってくれる先輩や、可愛い後輩、片思いのあの人とか、
例えば、目の前でだだ泣きしている父とか。母とか。姉とか。
いつか自分も、大切な人を見送り、あの小窓を除いて涙する日がくるんだろう。
祖父は大往生と言っていい最期だったけど、唐突に理不尽に、それが訪れることだってあるだろう。
自分だって例外ではなく、いつかわからないいつか、覚悟する暇もなく死は打ちのめすだろう。
そんなにつらいことを、一体何回乗り越えていかなければならないんだろう?自分の番が、くるまで。
そう思うと、泣けて泣けてたまらなかった。
今見送られている祖父ではなく、祖父を見送る父や祖母を、いつか大切なだれかを見送る自分に重ねたのだった。
なんつー自己中。でも俺は生きている人の悲しみを思って泣いた。
人死にはかなしいことだった。
でもそれは、死んだ人にとってじゃない、
残された人のだったんだ。
そういうことも含めて、残酷なことだった。
―――――――――――――――――――――――――
蛇足
祖父の火葬が終わってお骨拾いをしたら、膝に入っていたという金属のボルトが丸々形を残していた。
前線にいたときに怪我をして、帰国してから入れたものだということを初めて聞いた。
当たり前のことだが、戦争に行って、辛い目にだってあっただろう。捕虜にもなっていたんだし。
帰国してからは楽しかったことだけ話したかったんだろう。
その後の思い出話で、自分が生まれた時の祖父の話も聞いた。
祖父は生まれたての自分を抱っこすると、相好を崩してなかなか離そうとしなかったのだそうだ。
考えてみれば、子ども嫌いの人が小児科医になったりするはずもない。
口うるさかった祖母は祖父が死んでからすっかり意気消沈してしまい、家に籠りがちになってしまった。
60年連れ添った夫婦なのに、自分はなぜ祖母は祖父が死んでも平気だなどと考えていたのだろう。
夫婦の老後のためにと折角ため込んだ金の使い道がないらしく、会う度に小遣いをくれすぎるので困っている。
思えば節約や資産運用には熱心だったが、あまり消費欲のない人なのだった。
自分はというと、よく知りもしない人のことを決めつけるのはやめておこうと二十歳を過ぎてようやく決めたところだ。
日付変わりましたが、16日深夜ということで。
祖父は入院してから長くて、正直"死に待ち"みたいな状態ではあった。
ついに、という連絡を受けたのはのんきに隣県の駅前の百貨店で母の買い物に付き合っているときで、
母が電話を受けているのを横で聞いて、そうか、来てしまったんだな、と思った。
すぐに新快速に飛び乗ったが、電車の中でそれ以上何を急げるでもなく、母と「わかっていたことだけど」などと話した。
席は空いていたがなぜか座る気にもなれず、二人でしばし無言になった。夕焼けが燃えるように赤くて、みょうに胸がざわついた。
覚悟していても辛いものだろうか、と考えてみたが、正直に言って自分は祖父と疎遠で、まったく悲しみは沸いてこなかった。
孫の自分でさえ会話した記憶がないほど寡黙で表情のない人で、年に一度か二度会うだけだったから、あまり興味も愛着もなかったのだ。
父に祖父と昔どんな話をしたか聞くと、「軍医として戦争にいったときの思い出話をよく嬉しそうにしていた。豪人相手に時そばをやったとか。戦争で青春時代なんてないようなものだったから、同年代の仲間と学生気分で、戦場では医者だからちやほやもされるし、楽しかったんだろう」とのことで、戦争が楽しい思い出なんて、最低の人だ、と思っていた。
そんなわけだから、病院に着いて父と母と三人で死に水はとれたが、父が涙ぐむ横で、自分は神妙ではあるものの冷静だった。
色々ことが済んで、病院を出ると、来た時には真っ赤だった空が、一瞬で星もない暗闇になっていたのを、覚えている。
物心ついてから先日祖父が亡くなるまで、人死にと縁のない人生だった。
自分は今20なので、わりと幸運なほうなんではないかと思う。
生き物というものは、どうやらいつか死ぬものらしい、と知ったのは幼稚園のときだった。
しかしニュースで死ぬのはいつも知らない人で、
「○○氏が亡くなりました」
というのも現実味の薄い話だった。
死んだ人ではじめて生前から知っていた人は、
小渕恵三だったか鈴木その子だったか…今調べたら、小渕さんだな。
しかしもちろん面識はない。
死んだ人ではじめて身近な人は、
中2の時に死んだ姉の小学校の同級生の父親だった。
しかしやはり面識のない人だったから、あの子のお父さんが…とは思ったけれど、実感は薄かった。
当たり前だけど、ああ、ほんとうに、避けてはくれないものなんだな、と感じた。
それからテレビで知っている人も身近な人の大切な人も、たくさん死んだけれど、
いつもそれは遠いはなしだった。自分の直接知っている人ではなかった。
本物の死体を見たこともなかった。
死はいつも伝聞だったし、フィクションだったし、イマジナルな何かで、
所詮形のあるものではなかった。
自分は本が好きなんだが、物語というのはやっぱり死をテーマにした話が多い。
セカチューのような話は好きではなかったけれど、
人が死ぬことで感動を煽ろうとするような話が多いというのは、
やっぱり死が言いようもなく重いことだからだと思っていた。
とりかえしがつかない。ひたすら暗くて、最悪のことのように感じた。
死に直面しないまま思春期を過ごしたから、想像ばかり膨らんで、死を過度に恐れていた。
父は開業医で、自分に跡を継いでほしかったようだが、医学部への進学は断固として拒否した。
単純に学力も足りていなかったのだけれど、人の死に触れ、責任を持つ仕事なんて考えられなかった。
両親は時々「ステる」という言葉を口にした。医療者の業界用語で「死ぬ」という意味だが、
あまりに軽くに口にするので、「もう慣れてしまって、普通のことなんだろうな」と思えて、その感覚も恐ろしかった。
死ぬことも、死なれることも、怖いことだった。
何を言っているか全くわからない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AB%89%E5%A6%AC
で意味を確認したらどうだ。
どこにも一般論と・・・書いてないんですが・・・
よっぽど腹にすえかねて激高なさってるみたいですね・・・
こういう冷静に判断できない人間にはなりたくないですね・・・
よい・・・反面教師です・・・
ありがとうございます。存在してくれて。
世の中に不必要な人はいない、どんなに無駄でも不要な存在というものはない。
そういう大切なことを感じさせてもらえた瞬間でした。
断絶してもしなくても現地のスーパー襲うことは可能だし、したほうがあおることになるだろ。しかも日系企業で働いてるのも多くは中国人。
もてる理由にコミュニケーション能力とか性格を持ち出すのって激しく胡散臭いんだよな。
それなら別に男である必要もないんだから、友人と恋愛関係になってるはずだろと。
恋人にコミュニケーション能力・性格を求めるが、友人には求めないようなタイプの人がいるとは思えない。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101016-00000742-yom-int
もう、中国との国交断絶しようよ・・・。
中国と戦争になったら勝てないとか、中国資源依存が多すぎて日本が自滅するとか
言ってるヤツもいるけど、このまま国交続けたほうがダメージでかいだろ、JK。
この増田に「金の匂いに寄ってきてるわけじゃない」「コミュニケーション能力が上がったからもてだした」「状況が変われば評価は変わる」とか言っても慰めにはならないよ。
女が「条件」で相手を選別しているという事実が嫌だ
その「条件」が金でなかろうが、別の条件である限り同じなんだよ。例えば性格が良くて、そのことを好かれていたとしよう。ここだけ聞くと非常にまっとうに聞こえる。外見や豊かさで人を選ばない。立派だ。
でもちょっと待てよ。てことは性格が変わったらもうダメなのか、という。そして性格なんてちょっとしたことで変わるんだよ。ちょっと脳の血管が詰まって半身がしびれて、なんとか命が助かってもそこで性格が変わってしまう人がいる。突然猜疑心が強くなったり荒っぽくなったりなど、あちこちにある。認知症の老人を見たことがあれば知っていると思うが、若い頃どんなにいい人でも認知症を発症するとガラッと変わってしまう。単純な現実認知だけじゃなくそれに対する反応、つまり性格まで変わってしまう。
結婚式で牧師が言う「病めるときも健やかなるときも愛す」ことは並大抵のことではない。この牧師に「ハイ」と答えているものはウソをついているのだ。しかしそのウソに納得がいかない。ウソが嫌だ。そこに恋愛はないようだ。
では無条件で無償の愛を注げと元増田は言っているのか?
なんて気持ち悪い! 私はお前のママじゃない!
もちろんママじゃない。何かしてもらおうとは思わない。今までだって一人でやってきたし、一通りのことはできる。生活も心も、依存しようとは思わない。
ただ「ママじゃない」=「条件で選抜します」という女にお金を注ごうとも思わない。
でも、もしも、条件じゃなく自分を選んでいるということを感じさせてくれる女が一人でもいたら。たった一人でもいいから。その女のために全てのことをしたい。依存じゃなく、与えたい。別にママを求めてるわけじゃない。受けたい愛は「してもらう」という意味の愛じゃない。ただ「条件」ではない自分と一緒にいたいと思ってくれさえすればそれが全てなのだ。もちろん、たまたま自分が今「いい条件」みたいなものを持っていたら、それを捨てようとは思わない。むしろこの女のために使いたい。
しかし状況は、女性の行動原理が「条件による選別」以外の何でもないことを示しているようにしか思えない。そこには絶望があるだけだ。それが現実? く そ く ら え
あんた無条件の愛を受けられるほど魅力があるとでも思ってるの? ああ、「魅力」という「条件」ね。条件を満たせなくてすいませんね。
残念だね。俺はあんたのパパじゃない。条件を突きつけてくる女性だからって関係なく愛して、ATMになってお金という愛を注ぐほどお人よしじゃあない。あんたのパパはどんなにあんたがワガママ言っても、いつもお金を稼いできてお小遣いをたっぷりくれたんだろ? パパの下着と一緒に洗濯しないでって言ったでしょ!? それでももらうお小遣い。パパだから当然じゃん。そうだね。でも俺はあんたのパパじゃあない。こ れ も 現 実 の 側 面 。人口の男女比なんて大して変わらんのだから、どちらかが一方的に選ぶ側ってことはないはずだ。あんたなんかどうせもてないよ、と言ったとき、当然その言葉は自分にも降りかかってくる。そのとき感情的に自己肯定感を維持しようとすれば、残念でした自分はもてますよという思い込みを強く捏造し、過去の後悔と未来の不安を回避するのだろう。しかしそれでも残るわずかな不安!
しかし希望があるとすればあの話だね、フィクションだろうけどどっかの実業家が付き合ってる女に「事業に失敗して億の借金を背負うことになった。苦労をかけるかも知れないが結婚して欲しい」とプロポーズしたら断られたって話。実はその話はウソで、事業は順調で、数年後別の女性と結婚したという。その話を聞いて、別れた女性は「だますなんてひどい」と。
少なくともこの話には、「事業が失敗しても結婚してくれる女性」がいることが救いになっている。女性全般をdisっているのではない。それがわずかな希望なのだ。ひどい? こんなウソたいしたことじゃあない。だって条件で相手を選ばなければ、エイプリルフールにつく小さな嘘と何の差もないのだ。「重要なことについてウソをつかれた」と思うのは、あんたが「条件」を重要だと思っているからだろう。
少なくともある程度稼げるようになった男はみんな心にこの実業家がいる。
同年代の平均以上の収入があれば、同年代の平均以下の収入しかない自分と結婚してくれるのか知りたい、外見を認められたのであれば、事故でぐちゃぐちゃになった顔の自分とでも結婚してくれるのか知りたい、性格がいいというのであれば、突然性格が変わってしまったらどうなの?
ねえ、どうなの?